富田木歩 その5
たまさかは夜の街見たし夏初め
大正8年作。「初め」を「はじめ」とする本もある。歩けないことで我慢しなければならないことは沢山あったに違いない。この句は賑わう夜の街を見たいという思いを素直に詠んだ句。おそらく夏初めになると下町では朝顔市とか植木市とかがあちこちであったのだろう。彼の家の横を歩いて多くの人が行き来していたのか。
我慢していたのかはじめから諦めていたのか、足のせいか、貧乏のせいか、彼は小学校にも行っていない。かな文字を、「いろはかるた」や「めんこ」で覚え、漢字はふりがなつきの読み物などで、自分で覚えたようだ。
夢に見れば死もなつかしや冬木風
大正8年作。「亡き人々を夢に見て」の前書がある。父・弟・妹・背負って名月を見せてくれた友、身近にたくさんの死を見てきた。孤独な夜に彼らの夢を見た。夢の中では孤独でなかった。なつかしいと思った。向島三囲神社境内にこれを刻んだ句碑があるそうだ。江宮隆之の伝記小説のタイトルは、この句に由来するのだろう。死の観念に寄りかかった甘い作品だと評価しない人もいるようだが、私は好きである。夢の中でしか生きている実感が持てない、そんな日が何日もあるではないか。
葛飾や釣師ゆきかふお元日
大正9年作。「かつしか」とルビがある。現在の我々が「葛飾」と聞けば、何を思い浮かべるだろうか。柴又、帝釈天、寅さん。私にはこれしか浮かばない。当時は米騒動も起こり、貧しい人々の生活はたいへんで繁華街浅草からあぶれた人が亀戸や玉の井に移住していた。隅田川の東、その辺一帯を葛飾と呼んでいたそうだ。水田や沼が多くあり、また、そんな土地を埋め立てて住宅が立ちならぶようになった新開発地帯である。その玉の井へ木歩も母と二人で、ある人の妾になっている姉について向島から移り住んだ。引越し間もない二階から眺めた風景を詠んだ句。正月早々近くの沼で多くの人が釣りをするらしい。何が釣れるのか。食材獲得が目的か。レジャーではないだろう。「お元日」の「お」は五音にするためにつけたのではなく、彼や彼の家族の日常語なのだろう。
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