富田木歩 その7 終
木歩の作品を14点読んで来た。
素人が玄人の句を批評するのもおこがましいが、感嘆した作品には出会えなかった。
ただ、俳句と言うものを考えるきっかけを与えてくれた。
彼にとって、俳句は生きるということとほぼ同意義であった。
私にとっては暇つぶし。
その私が木歩の作品を批評する。
そのうち罰が当たるかも知れぬ。
どこかで、だれかが書いていた。あいまいな記憶だが
「発表された俳句は、作者名など考慮しなくても読者に理解されるものでないと一流の作品とは認められない」と
私もそうだと思う。
木歩の作品は、彼の境涯がわかって初めて味わえる句が多い。
だから、彼は一流ではない。そういえないこともない。
けれど俳句は一部一流のひとのためにあるのではない。
ただ私などには、俳句を観賞する能力がないために、有名な作者の有名な句より、小学生の句がいいと思えるときがある。
作品には十分力があるのに、読者にそれがわからないとき
作品には力がないのに、読者が勝手に力があると思うとき
結局私には何が何だかわからないのである。
努力して人並みの鑑賞力をつけたいのだが、なにが人並みなのかも知らない。
出来る限り沢山の句を読んでいきたいと思う。
そうすれば私にも人並みの鑑賞力がついてくると信じたい。
木歩は、関東大震災で命を失った。27歳という若さで。貧困・足萎え・結核と十分すぎるほどの苦難の果てに震災の業火のために落命する。お涙頂戴でもなんでもいい。彼の句は、やはりこの生きざまを知らないでは、味わうことができない。それでいいではないか。俳句の世界は広いのである。
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