八月も終わりました
今年も、あと4ヶ月になりました。
色づく田縫って郵便屋さん走るくる
朝寝坊をした。
連れ合いに叱られた。
朝ごはんの片づけができないから、ゴミが出せないではないかと言う。
黙って叱られていた。かなり罵られた。
自分の持分の家事もしないでいるのだから、叱られて当然なのだ。我慢我慢。
それにしても、よく寝た。気温が適当だったのだろう。
7時半を回っていた。いつもより3時間近く余計に眠っていたことになる。
かつての職場が出てくる夢をみていた。
いい夢でも悪い夢でもない平凡な夢だった。
秋眠や夏の疲れの捨て所
見かけているのに気がつかないのかも知れないが。最近朝顔を育ている家を見かけない。
我が家でもそうだ。ただ一輪も咲いていないわけではない。
自然に種がこぼれて咲いた花がある。
朝顔を毟り嫉妬の気をおさめ
昼間、ベッドに寝て本を読んで過ごす。その間に、ついウトウトと寝てしまう。
昼間、睡眠をとりすぎると夜寝られない。
寝られないと、いろいろとつまらないことを夜中にも考える。それを次の日の昼間にも持ち越してウダウダと考える。
その中から「老い」に関して考えたこと、勿論、この考えは「論理的な熟慮」と正反対のものではあるが、それをグダグダと書いている。これから書くことも、私の個人的な記憶を書いただけで、老人介護の歴史について客観的な事実を書いたものではない。
老人介護が行政課題になったのは、いつころで、その契機は何だったであろうか。おそらく、国民医療費の拡大が増加の一途をたどり、このままでは医療保険財政を破綻させると意識されたのが契機になった筈。つまり、安心して老後を過ごしていただくためを考えた政策ではない。あくまで、福祉課題ではなく、財政問題であったのだ。
1980年代の後半であっただろう。老人人口増大に伴う老人医療費の拡大を何とかしなくては、ならないと考えたのだ。具体的に言えば、病院のベッドで寝ているだけの老人を病院から追い出そうとしたのだ。彼らは、医師の治療行為を日常的に受ける必要性は少ない。だから、在宅療養で十分だと。これが、日本における老人介護の歴史の不幸な始まりとなったのだ。
家庭に、老人を介護する条件がなかったので、病院にあずけていた。これを社会的入院といっていた筈。あの頃は、要介護老人を持つ家庭では、次に受け入れてもらえる病院を探すことに神経をすり減らしていた。病院をたらい回しするか、兄弟姉妹の間で、たらい回しするか。同居する長男の嫁が貧乏くじをひかされるか。いずれにしろ、要介護老人は、俄かに、世の中の厄介者の主役になってしまっていた。
この悲劇をなんとか緩和しようとして行政が考えたのが在宅療養支援策、訪問看護婦派遣制度である。(もちろん、1975年ころから、訪問看護を実施していた先見的な自治体も生まれてはいた) これが、国県の指導を受けて、市町村の福祉課の仕事になる。市町村では、新たに看護婦という専門家を雇用するより、安価で、使い易い看護婦資格を持つ嘱託職員を使うところが圧倒的に多かった。そして、介護現場では当然、自治体の机上プランであるマニュアルでは対処できない数々の生の事態が発生する。真面目に働こうとする看護の専門家には、とても看過できない事態が多い。これを自治体の福祉課に持ち帰る。担当課長は、ほぼ3年で異動する行政マンで、マニュアル以外の仕事はしなくていい。いや、してはいけないという。結果、行政でやっても、血の通った仕事はできないのだから、民間に任した方が、かえっていいのだと言う論理になり、現在のビジネスとしての介護現場ができあがっていくのである。この構図は、私の働いていた図書館界でも顕著にみられる。
図書館は、建物と机と座席を揃え、受験生で賑わっておればよかった時代が1960年代には終わり、教養や娯楽のための読書から、生活に役立つ、ビジネスマンにも起業家にも役立つ情報を提供する図書館へと、すべての住民に役立つ図書館をつくるのが、図書館行政の課題であるにもかかわらず、専門的司書業務をアルバイトや嘱託職員に任せたり、現場の声を、すぐに異動する行政マン館長が無視したりして、最低限現状が維持できればいいという判断で運営し、あんな図書館なら民間に任せた方が効率的だという世論を醸成し、挙句の果てに、管理運営までも民間に任す指定管理者導入に道を開いた。福祉現場にも社会教育現場にも専門家は不要、そんな自治体ばかりが増えている。
横道にそれてしまった。
老人介護を家庭の問題にするのではなく、公の問題にした。それは、いい。公、行政では、スタッフをそろえるには、金がかかる。民間にできることは民間にまかしたほうが、よりよいサービスができる。ということで、介護現場が金儲けのための市場になった。住民のために公務員が働くという意識も、意欲も、現場さへもなくなったのが、現在である。四の五の言わず、現在受けることのできる介護サービスを可能な限り受けて、なるべく早くこの世から去らなくてはなるまい。これが、老人のできる最後のご奉公である。
できるかぎり寝込むことのないよう、日常生活に気を配り、連れ合いに迷惑をかけないようにしなくてはならない。まず、、家事のうちの風呂・洗面所・トイレ・玄関の掃除、ゴミの区分と集積所までの持ち運びなど、自分の担当だけでもできるような腰の状態に戻さなくては、いけないのだが、今回の腰痛は、老化現象と関係あるのか、回復に時間がかかりすぎている。だから、不平不満を世の中にぶつけるそんな作文になってしまった。実は、そんな余裕は私にはないのだ。目の前の蝿もおえない状態なのである。
臥せったままで、いろいろ考えるともなく考えていると、このブログの記事になりそうだと思うことがある。たびたびある。でも、いざ書くとなると、じつにつまらない陳腐でひとりよがりの考えであったことがよくわかる。現に記事になった部分をお読みいただければ、その実態がおわかりいただけると思う。己のチェックを経て、この程度である。
今日は、「少子高齢化社会」についての愚考を書いてみたい。いくつか前の記事で、私は、少子高齢化社会を「分かりやすくいえば、老人を養う金を稼ぐ若者不足」だと指摘した。つまり我々老人の貴重な収入源である年金は、現在働いている人々が収めている年金から拠出される。年金を受給する老人の数が多くなり、その受給総額が納付総額より多くなり年金会計が破綻する可能性が強くなること、これが「少子高齢化社会問題」の根本だと言ったつもりだ。
中期的には、年金を払おうにも払えそうにもない、企業重視の政策のなかから生まれた低賃金労働者を救済しなくてはならない。長期的には、生まれる子どもの数を多くしなくてはならない。ここで念をおしておきたいが、これは、個人個人の生き方の変更を迫るものではない。産みたくない人は産まない自由がある。結婚したくない人に結婚をせまるものでもない。あくまで、子どもを産み、育てやすくする社会的条件を整える行政側の条件整備の話なのだ。「美しい国」とは、「子どもを産み育てやすい国」でなくてはならない。
「できちゃった結婚」に目くじらを立てる人は少なくなった。結構なことである。(サンデー毎日の最近号に目くじらを立てた人がいるようだが) 「バツイチ」と「子連れ再婚」はどうであろうか。そろそろ社会的な認知がされてもいいだろう。「シングルマザー」も立派な生き方である。問題は、多様な個人の生き方にあった保育所等の整備、産みやすく育てやすくする社会的な理解と施設の整備にある。これをどう政策化し、実施していくかである。「赤ちゃんポスト」も、その具体策の一つであろう。(ネーミングは悪すぎるが)
「父なし子」「母なし子」を差別しないように教育する、全ての命を命として尊ぶのが、現在の教育改革の眼目であれば、私は現在の教育改革に賛成する。「父なし子?母なし子?それで、それがどうしました?」と普通に言えるような世の中にして欲しい。
どのような形であれ、この世に生を受けた命を大切にし、ともに育てていこうとする精神が、少子化対策の根本にあって欲しいと私は思う。
後生殖期が異常に長い貧者の、それも腰痛患者の消日法は、テレビと読書くらいしかない。
テレビはダラダラ観ていれば何時間でも観てしまうが、臥せったままでは、首と眼の具合が悪くなる。
読書も読んだそばから忘れていってしまうから、娯楽小説以外のものは読めない。
娯楽小説のなかでも、推理小説は、もうだめである。登場人物が少なければ、なんとかついていけるが、そんな作品は少ない。カタカナ語が頻出する作品(翻訳ものは全てそう)や、筋の込み入ったものはだめである。
こうなって初めて、読書三昧生活は老後にすればいいと思ってきたことが、大きな間違いであることに気がついた。読んだものが血となり肉となる若い頃にこそ、本は読むべきなのだ。もちろん、老人でも目的があり、気力が充実していれば青年期に近い読み方が出来ることは認めうるが・・・。
気力の衰えた老人が、それでも本を読もうとすれば、近くの公共図書館が大きな助けになる。逆に言えば、近くに図書館がなければ、本を読んでみようかとは思わないだろう。図書館は、老人にも役に立つ。
実際的な話をしよう。寝たままで本を読むときの話だ。大きな重い本は駄目である。活字の小さい本も出来れば避けたい。大型活字本も老人向きではあるが、あれは重くて、大きい。元気な老人向きといえよう。軽くて活字の大きい本がベターである。
知り合いに編集者がいる。いくつかの出版社勤務ののち、出版企画をたて出版社に持ち込む仕事(適当なネーミングがあったはずだが忘れた)を独立してやっている人だ。去年の夏の話だ。彼がいう。相変わらず、本が売れないという。長期の出版不況だという。
それでも売れる本をつくらなくては飯が食えないという。では、実際に作っているのは、どんな本だと、私が聞く。
時代小説を文庫本でというのが答だった。
この夏、腰痛で寝込み、本を読んで時間をつぶすしかなくなって、「売れるのは時代小説の文庫本」の意味がよくわかった。私は時代小説を読まないで過ごしてきた。商売柄作者の名前と代表作くらいは知ってはいるが、いささか、その知識は古過ぎた。佐伯康英が時代小説家に転身し、「居眠り磐音江戸双紙」なんていう文庫シリーズを成功させていたなんて最近になって初めて知った。たまたま図書館から、そのシリーズ中の1冊を借り出して読み、ほぼ同時に新聞広告でテレビドラマ化されていること、ベストセラーになっていることに気付いた体たらくである。
活字が大きい・文庫本・時代小説、この3つがベストセラーになる条件だとすれば、納得できる。身をもって体験したからだ。軽くて字が大きいのは、物理的な読みやすさである。寝たまま老人には最適である。文庫本で値段が安いのも売れる大きな条件。そして、読書層、図書購買層が、中高年に移ってきた。青年層の落ち込みが影響していよう。では、何故、時代小説か?個々の作品ごとに評価すべき問題だが、一般論にしてみても言えることがある。
時代小説は現代の話ではない、未来の話でもない、過去の終わった時代の話だということ。つまり今の自分とは何の関係も無い話。ふと現代の自分を見直すなんて作業のいらない話、これにつきると思う。もちろん、悪代官や悪徳商人は現代にも通じようが、それは、読んでいてそんなに感じるものではない。その上、最近のそれは、単純な勧善懲悪話ではない。悪を正義が討ち果たすことからくる単純な喜びはそんなに用意されてはいない。ただひとつ、今を完全に忘れられる時空に遊べること、それが面白いのだ。そう俄か時代小説ファンは分析している。
腰痛養生中の今までに、15冊を超える時代小説文庫を読んできた。今日もまた、図書館から、時代小説文庫を3冊借りてきた。明日一日で完読するだろう。期限を守りますから貸出制限はなくしてくださらないだろうか。腰痛をおして図書館を往復するのは苦行。もっとも、図書館通いも息抜きとリハビリと考えれば、それでいいのか。とにかく図書館は役に立つ施設だ。
「お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪が生えるまで」
結婚する男女の誓いの句、原典は知らないが、甚句とか音頭で歌われているようだ。四字熟語の偕老同穴とほぼ同義。お前は男女、いずれかは知らぬ。
結婚当初は、これを高砂の翁媼の姿、美しい姿を夢想するだけで、老醜のお互いを思い浮かべることは決してない。65歳を過ぎて初めて意識する。頭の好い奥方は、それまでに離婚していようか。熟年離婚、男から言い出すケースは少なかろう。核家族化した現在では、「老後は、妻に」そう漠然と男は思っている。男が女より寿命が短いのを拠り所に。息子夫婦にみてもらおう。そんな、買っていない宝くじに当たるような話をしてもしようがあるまい。
かくして、介護はビジネスとなる。ジュリアナ東京を当てた青年実業家が乗り出す世界になった。行政の対応が遅く、政策や制度が未熟で、いまだに、右往左往している部分もあるが、介護を家庭に閉じ込める時代は終わりにしなくてはならない。財政再建を錦の御旗に、行政は、介護をビジネス世界の問題にして、生存権の問題にしようとしていないので、「金持ちだけに手厚い介護」 三途の川も金次第、そういう時代に突入してきている。
バブル崩壊後の景気浮揚策は、簡単にいえば人件費を極端に切り詰める政策であった。つまり金持ちによる金持ちのための政策が行われたのだ。その結果、景気は回復期に一応入った。弱肉強食、強きをたすけ弱きをくじくのが、正しい処世法となったのだ。そうして格差社会が到来したのである。勝ち組みによるテレビ番組を見よ。
ブランドもののバッグや靴を300,400と持つ良家の子女がきらびやかに着飾って、腕時計1000万、イヤリング2000万、ブラウス15万などと一つ一つ紹介しながら登場する。そして、うまい肉や魚を召し上がる。どこかおかしいと思いながらも、我々はそんな番組をよだれをたらしながら見る。こんな時代がいつまで続くかというところで参院選。「年金」「政治と金」「格差社会」で与党が自滅した。自滅はしたが、これで「生存権を大切にする政治」が行われるようになるわけではない。
天井をみて消日していると、いろんなことをいろいろと考える。まともなことをまともに考えているわけではない。世迷いごとに過ぎない考えばかりである。腰痛はだいぶよくなった。右腰のある部分に痛みが限定されて意識されるようになった。ところが、その右腰をかばっていて、左腰を痛めた。家内に告げると、ここぞとばかり、悪口雑言が降り注ぐ。負けちゃならじと反撃した。「顔の悪いのを心根でカバーしていたのに、疲れて地が出て心根まで悪くなったお前さんみたいなものだ」と言ってしまった。「しまった。言い過ぎた」と思った。ところが、あまりにも、その比喩が正鵠を射たのか、敵が吹きだし事なきを得た。口は災いの元、気をつけなければ、暗い老後がますます暗くなる。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか」
いつのまにか、この「信長公記」中のこの句を「人の寿命は50歳、夢のようなものなのだ。生まれたものは必ず死ぬ」くらいの意味にとっていた。織田信長の時代では、平均寿命が50歳だったのか、それが今では80歳くらいになる。随分寿命も延びたものだ。そういうふうに考えてきた。
ところがである。出典はもう完全に忘れたが、鎌倉時代の平均寿命は24歳、中世33歳とする情報に接したことを思い出した。こまかい数値はともかくとして、信長時代の平均寿命は50歳、そんなに長くはないことに気がついた。人間五十年は寿命を言ったのではない。そこで少し調べてみた。正確にノートにとったのではなく、記憶してきたもの、また、複数の文献にあたったのでもない、半端なものだが、この信長公記の句の原典は、倶舎論にある「人間五十年、下天一昼夜」らしい。人間界の50年は下天界の1日。いずれにせよ、五十年なんて、ほんの僅かの時間だよという意味らしい。
「後生殖期」が異常に長くたって、人は必ず死ぬ。事故・戦争・殺人などにあわない幸運に恵まれても死ぬ時は死ぬ。絶対に死ぬ。ただ、死は公平だが、寿命は公平ではない。こんな御託を並べている今のこのときに戦禍で殺されている多くの人々が、イラク・アフガニスタン・アフリカ等々にいる。私などは幸運中の幸運な恵まれた人なのである。それなのに、なお不平をいう。現代日本の死は公平ではないと。死に至るまでの生が公平ではないのだと。
今日は、少し、腰痛対処法に慣れてきて、立居振舞がスムーズになった。そのことが反映したのか、己の考えが若干社会性を帯びてきた。が、そんな余裕はない。今のこの寝たきりになりそうな、汚ならしい自分の心身が問題なのだ。
ジンと走る痛みをこらえようとして、体を硬くする。
この強張りが、痛みを助長するのだが、この条件反射に逆らうことはできない。
今回は、この最初のジンとくる痛みが、ほんの少し弱い気がするが、硬直する体は、最強度の痛みを忘れないでいるようだ。その構える心が、腰痛時の立居振舞いを牽制する。
いくら痛くても、トイレには起きなくてはなるまい。下の世話は誰にもかけたくない。
かけたくなくても、かけなくてはならなくなる時は、必ずくる。その時はその時なのだが、長い腰痛歴の中では、一回だけ、妻の手を煩わした。あの頃は、まだ、若かったので、そう深刻ではなかった。ただ、これから寝たきりになると、常態化することが予想できる。そんなことを考えながら、四苦八苦して、体を起こしトイレに向かう。
老いていくと、若い頃には、考えもしなかったことを考えるようになる。つまらない、美しくないことを考えるようになる。つまらなくて、美しくない、それが老年期の特性だろう。もちろん、サムエル・ウルマンの詩を引き合いに出すまでもなかろう。すべては、気の持ちようであることを、知っている。80歳過ぎても、若い人は若い。
WHOによれば、65歳以上を老人というらしいが、人は千差万別。なにも自ら老け込むことはない。私だって、まだまだ若い。フルマラソンくらいは走ってみせる。そんな気概はあった。腰痛で寝込むまでは・・・。
動物の一生は、生まれてから性的成熟に至るまでの「成長期」、子孫を作り、育て上げるまでの「生殖期」、そして、その後の「後生殖期」の三期に分けて考えられる。そして、多くの野生動物は、生殖期が終わった段階で死んでいく。人間ほど後生殖期は長くない。いや、人間だけが、異常に長い「後生殖期」を持つ。つまり人間という種は動物界では異常な存在なのだ。あらゆる動物種にとって生存の最大命題である「子孫を残す」こと、これが、必修ではなく、選択制になっていること、逆に言えば人間は、単なる動物ではないのだ。老いさらばえても生きていかなくてはならない動物なのである。
子孫をつくり育て上げる生殖行動にも人間独特のものがある。(排泄と生殖については、アカラサマニしないのが、人間社会の慎みというものであるが、いささかその慎みを忘れる)人間は、子孫を作る目的がない性行動をすることが圧倒的に多い。また、その性行動さえ遠ざける人々が多くなっていると聞く。それは、その個人の勝手というもので、他人の容喙すべきものではないのは当然として、慎みを忘れたついでに言えば、私どもも50歳直前からセックスレス夫婦となっている。その私を敬遠する妻が、果たして、下の世話までしてくれるかどうか。心を交わす、情を交わす、そんなことをしていないのが心配なのである。人間にとって、性行為は生殖行為というよりも、むしろふたりの間のコミュニケーションそのものだろうと思っている。
生殖行動の変化が原因かどうかは別にして、少子高齢化社会。分かりやすくいえば、老人を養う金を稼ぐ若者不足が我々の老後を暗くしているのは確かである。天井の疵をみながら、こういうつまらないことを考えている。
天井に残った傷跡を見ながら体を左側に少し向けて寝返りを打とうと試みた。
ジンとした痛みが走る。まだ、無理のようだ。体を元の位置に戻して
「今回は少し様子が違うかナ」と独り言を言う。
腰痛の原因は、背骨の間の軟骨部分が磨り減っていることにあると説明されている。
五十歳前にかかった整形外科医の説明だ。それを最後に医者にはかからないで、腰痛とは付き合ってきた。
腹筋と背筋を鍛えて、再発を防ごうとはしているが、その鍛え方が中途半端なのか、腰痛が持病の座から外れることはない。
仕事を持っていた時は、「早くよくなって職場に出なくては」という気持ちがあった。
年金だけで生活するようになった今は、そんな気持ちを持とうにも持てない。
この差は大きい。随分大きい。
もちろん、「寝たきり」になるのは嫌だ。早く良くなりたいと思うが、それが力として体に満ちてこない。
年取ったということだろうか。
良くなって体が動かせるようになったとしても、それで幸せに近づくわけでないことが、骨の髄まで分かっているからであろうか。
「まったくもう、元気でも、この役立たずが・・・」と、妻の機嫌がいいわけはない。
どれだけ罵られようが、彼女の世話がなければ、今日の一日が過ごせない。
魔女の一撃のような強烈な痛みではなかったのに、ギクっときたのではないのに、今回は、段々と痛みが従来の腰痛のようになってきた。今回は、やはり少しが様子が違う。
熱中症対策に水分をとる。
当然汗になる。
汗ばんだ膚は不快である。
シャワーを浴びる。
この繰り返しで、夏を過ごす。
ただ、この作業が、少し大変なのだ。
腰痛のせいである。
衣装の着脱も大変なら、シャワーを浴びるのにも困難が伴う。
それに、思った以上の時間を取られる。
これが、いいのだ。暇を持て余すということがない。
好い時間つぶしになっている。
あぶらぜみ幹の日陰へ回りけり
珍しく子どもの声を聞いた。
帰省した人の子どものようだ。
最近近所では、ほんとに子どもの姿をみかけない。
夏休みになってからは、皆無といえる。
炎天下ということもあるのだろうが、
子どもの絶対数が少ないということもあるのだろうが・・・。
朝日も夕焼けも見たことがないという子もいるらしい。
あさのラジオ体操も見かけなくなって数年になる。
蝉を追う子の声消えて蝉時雨
住民健康診断をうけました。
腰痛で、勝手に延期しておりました。
今週で終わりなので、駆け込み受診者が多く、午前中一ぱいかかりました。
問診では、老人性欝へのチェックがありました。
友達のところへ遊びに行くように勧められました。
近くに友達一人いない孤独な爺さんは、欝になりやすいとか。
私は、家内とも、ほとんど口をききません。
もともと口数の少ないので、老人性というよりは、本質性。
「別に心配はいらないと思います」と言いますと係りの看護士、苦笑しておりました。
蝉噪の取り巻いている昼寝さめ
禍福は糾える縄の如し
もっとも私の場合、福の幅はごく狭く、禍の十分の一もあるまい。
家内が、「漢字ナンクロ」で、デジカメをゲットした。
かつて昔々、旦那をゲットして以来の幸運であるとか。
マニュアルを読んでも半分も理解できず、その度に、私に五月蝿く聞く。
わたしも似たりよったりで、理解力がない。
そこで、小さな諍いが始まる。
カメラなど当たるのではなかった。
それでも、なんとかかんとか、撮影が出来るようになり、パソコンに取り込んでくれという。
ところがである。
私のパソコンのOSは、古すぎて、対応ができないことが分かる。
そこで、これを渡りに船として、vistaに買い替えようとした。
ところがである。件のカメラのソフトはxpまでの対応。
多分大丈夫だとは思うが、ソフトとOSの関係は文字通り、帯に短し襷に長しである。
カメラが当たって、パソコンの買い替えが、うまく行けば、私は嬉しいが、家庭内LANの問題などクリアすべき課題が多い。
世の中、そんなに、うまくは行かない。
打ち水の足音暑く風も止む
やがて必ずくるであろう寝たきり老人生活の予習を十分にいたしました。
腰痛治療は、西洋医学の整形外科を皮切りに、整体・針灸その他あらゆることを試みたこの身。
結局は、治るときを待つのがいちばんであることを身にしみて分かっておりますが、今回だけは、ヒョッとして、このまま寝付いてしまうのでないかという虞を抱きました。
きょう、やっと、パソコンを開こうと思うまでには、回復しましたが、まだまだ、「フリダシニモドル」恐怖が残っています。病臥中に、いろいろ考えたことが、このブログの種になるなあなどと思っていましたが、いざ、パソコンの前に坐ると、その種は、どこへ飛んで行ったものやら、ほとんど何も残っていません。いずれ思い出して、書いて見たいと思っています。「寝たきり老人生活の予習」課程を書いて見たいと思っています。
痛む身を起こしてみれば油照り
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