
10月12日に行った時は、栗駒山の上のほうだけで、途中の山々は色づいてもいない状況でした。
ネット上には各種の紅葉情報が出ているが、いまいち、知りたい情報に出会えないもどかしさを感じました。
街道ごとの紅葉情報が出ているといいのですが、そこにうまく出会えないのです。
そこで、これからの人のために昨日走った街道の紅葉情報を提供しておきましょう。
宮城県栗原市花山村から秋田県湯沢市に抜ける国道398、通称湯浜街道
花山湖付近はまだ、湯浜峠から見る栗駒山はもう枯れ葉のくすんだ茶色。
花山峠を抜けて秋田に入ると、付近の紅葉は今日明日には最盛期。
282を須川湖まで走ったが、このあたりは、もう紅葉の最盛期は過ぎて、ものがなしい風景に。
戻って398を小安峡に、街道沿いの紅葉はまだ色づく程度。
泥湯から川原毛地獄を通過して秋の宮に抜ける310はまさに最盛期。
秋の宮に下りてしまうと、紅葉はまだまだ、仙秋ラインも同様でありました。
写真は泥湯付近の紅葉です。
余談ですが、昼飯は秋の宮で、稲庭うどんを食べました。
店員がひとり休んだそうで、待ち時間が長くありました。
BGMにモーツアルトの交響曲39番がかかっていました。
宮本輝の『錦繍』を思い出しました。
あの小説では蔵王が登場したはずだが、紅葉の風景は何処だったのか・・・。
錦なす山容にある翳りかな
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上の写真。一匹変わったのが泳いでいましょう。
鯉のぼりに紛れて鰻のぼりが泳いでいます。一瞬不気味な気がしました。
人類のうちでも、猿に近い私は、蛇が嫌いです。遺伝子のなかに刷り込まれているようです。
鯉の代わりに鰻をあげる。そんな風習があるところがあるのでしょうか。
鯉をさけるところがあったとしても、それは鯉を崇める故であって、例えば、昔々、水飢饉の集落が鯉に助けられて水源をみつけたことを由来として、鯉を食さない、そんな風習が残っているところがあったとしても驚くことはありません。
鯉のぼりの代わりに鰻のぼり、そんな地域はないでしょう。
やはり一種の洒落でしょうね。鰻のぼりを揚げるのは。
雨上がりウナギののぼる空があり
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こい流れこころ乱れて花嵐

橋の名は珊瑚橋なり花渡る
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昨日の記事に駄句を付け忘れたので、ここに、写真とともに

仰ぐとき傘高くする花の道
駅前の食堂は速いのがとりえ、そんな気持ちで入った。
メニューを見るとカツ丼天丼うな丼そんなものである。
そのメニューに週刊誌か何かに紹介されたときの記事コピーが添えられていた。
小説家高橋克彦の書いたものである。彼は確か岩手の出身、地元へのサービス記事かと思ったが、その彼のススメたカツ丼を注文することにした。ソースカツ丼である。
ソースカツ丼といえば、私の頭には福井がインプットされていたので、そう連れ合いにささやくと、彼女は北関東・群馬あたりにもあるという。(先ほどネットで調べてみると、ソースカツ丼は大正時代に東京は早稲田に現れ、福井に行ったのが本流だとか、そうでないとか。前橋・桐生・長野の駒ヶ根や会津若松あたりの名物になっているとか、そう宣伝しているとか。餃子の街も宇都宮・浜松・福島とあるように)
ところが、その駅前食堂は宣伝が下手と言うべきか、ネットにも随分後ろの方の頁に登場することは登場するのだが、メニューのひとつに載せているだけで、元祖争いなどには興味もないらしい。(帰りに見た、強風に千切れそうだった店の幟には元祖の文字があったような気もするが)
肝心の味は、どうだったか。美味しかった。他の土地の店と食べ比べてもいないのに、この店の肩を持つことにしよう。私が宣伝する。一関駅前、松竹のソースカツ丼。これは、いけます。
金を払っているときに見つけた店内の色紙で、永六輔も東京からこれを食べに新幹線に乗ってくると言っている。
それからまた、村松友視も誉めていた。
カツ丼も美味きとき有り花嵐
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一週間前は南下したが、
今回は北上して北上まで行った。
天候が目まぐるしく変わった。
晴れたかと思うと空が真っ暗になり、雨。
傘を出したかと思うと、雲が切れて、天気雨。
その繰り返しに、強い風。
電車が、強風のため徐行して、ダイヤに大きな乱れ。
おかげでさまで一箇所行かなくてすんだのは良かった。
前沢牛を食べるついでに毛越寺へ。
いわゆる牛に引かれて毛越寺参りをしなくてすんだのだ。
この2、3日、眠りが浅く、夜中から明け方まで目覚めていた。
余り動きたくないのだ。もちろん連れ合いには何も言っていない。
ダイヤの乱れもあって昼飯が14時過ぎになってしまった。
乗り換え駅の駅前食堂へ。
ところが、その食堂は・・・。この話はまた明日。

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鉄道写真を撮ってる人たちが数人いらっしゃったので、わたしも真似をしてみました。
徐行する電車の窓に桜花
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いい天気に恵まれた小さな旅でした。南下する電車(ディーゼルか?)の窓から、西の雪をかぶった山並みが真っ白に耀いてみえていました。
途中桜並木が長く続く箇所を通過しました。満開を少し過ぎて白っぽさの目立つ花でした。(明日にでも、その写真を掲載しましょう) 時刻が早いせいか、列車は徐行しませんでした。
桜並木を通過してしばらく走った線路際に三脚にカメラを構えた人たちがいました。陽光を一杯に浴びた雪山を狙っているようです。近影に菜の花畑をいれているようです。黄色と白と空の青。いい写真が撮れたでしょう。
わたしの写真は、いい写真ではなく(いい写真を撮りたいという気持ちはあるのですが、マニュアルを読む根気がなく、オートフォーカス以外の機能を使ったことがないありさまで)メモ代わりに撮ったものというほかないものです。
桜花ひらり舞い落ち牡丹百合
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気鬱気味の老夫婦だから、花を求める小さな旅行もいいかと思う。
もちろん、私の場合は連れ合いに「やいのやいの」言われた結果、しぶしぶ従うのであるが・・・。
旅行会社のバスツアーが経済的には一番有難いのだが、長時間のバス移動に身体的についていけなくなったこともあって、最近は、とんとご無沙汰で、案内状も届かなくなっていた。
そこで、鉄道に安く乗れる「大人の休日倶楽部」に入り、大型の時刻表をめくって、あれこれと連れ合いが五月蝿くいう。全部任すというのが、気に入らないのだが、私にはノープラン。何処といって行きたいところはない。
昨日は、連れ合いのプランに従って、花見に行ってきた。
気散じにはなった。
花の山西の雪山靄のなか
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3日目の宿泊地は、隼人温泉、ホテル京セラ。
格安ツアーの定番は最終泊が一番いいホテルになる。
ところが、これが我々年配には裏目に出ていたようだ。
我々の部屋がある新館と本館の連絡通路が3階。新館の温泉がヨーロッパ風で水着着用が義務。
誰一人入らない。みんな本館まで行っていたのだが、浴衣着用は、部屋の中だけで、不平タラタラ。
その上、本館と新館を繋ぐドアが部屋の鍵と同じで、いちいちロックされて、カード式のキーを使わなくてはならない。年寄りに大不評であった。

4日目、最終日の最初の観光地は、霧島神宮。のち城山。曇りがちで櫻島は、くっきりとは見えない。
昼食を食べた磯御殿=仙巌園からは、くっきりと見えた。そして、薩摩が明治維新のとき、なぜリードできたのか、そのことが同じ敷地にある尚古集成館を見学して、歴史にも暗いわたしの目も、くっきりと見えるようになった。
鹿児島空港からは、神戸空港経由で帰った。直通便はないようだ。
鹿児島を飛び立ったのは、17:55。西日本では、まだ、日暮れではない。
ようやく、日が消えて、空が墨色になりかかったころ、眼下を見た。島影がみえる。
どこだろうか。すぐにはわからない。街の灯もわずかにみえる。
やがて、南北に走る川が確認できた。河口の地形もまだ見える。
四万十川にちがいない。
すると、あれは足摺岬。後ろに消えていく海は宿毛湾。
足摺慟哭というタイトルだったか、ある画家の絵を想い浮かべた。
「文芸春秋」の口絵だった。
安らいでいてか星影春暮れる
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[ココログのメイテナンスに随分時間が取られたので、気が抜けてしまいましたが、旅の記録を続けます。]
高千穂峡の後は、清和文楽の里で昼食をとり、通潤橋へむかった。
文楽の里は一度、通潤橋は何度も、テレビ番組で観ていたので、それなりに関心があった。
文楽の世界は、子どものころに味わっていた世界なので、興味深く、義太夫の台本まで購入しようと思ったが、自分で、語ることはしないだろうと思いとどまったが、少し残念に思っている。

通潤橋は、水道橋で、ゴミ掃除のときなどに橋の中央部から放水するので、有名だが、放水を観るには、予約と5000円が必要だとかで、観ることができなかった。50人近くのツアーなのだから、100円で見られたのだが、昼食や入場料・拝観料はすべてオプションにして、安価をセールスポイントにしている旅(だから我々も参加した)ゆえに、私個人の希望はかなえられなかった。
日本一長い石段は、3333段。日本一をねらって作った階段で、新しい。それまでの日本一は山形の羽黒山だったとか、頂上には、釈迦院があるそうで、釈迦院そのものは、1150年くらい前の創建だとか。往復には4時間くらい必要だとか。30分好きに歩けといわれて、800段までを往復した。別に脚の筋肉が痛むことも、張ることもなかった。70歳くらいの土地の人が、上半身裸で汗を拭いていたので、聞いてみると、週に2回、運動を兼ねてお参りしているそうである。
信仰の心半ばや春がすみ
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阿蘇の内牧で目覚めた旅の3日目。天候の回復はまだ、五岳は望めない。
バスの移動に連れて、時には裾野が、時には山頂近くが見え隠れするようになって、雨はあがった。
五岳の名前、繰り返し教えられたが、今は、ひとつも覚えていない。我ながら情けない。
その五岳のうちの、二つの間の峠を越えて高千穂に向かう。高森という町を通過、森高千里の出身地だとか、こういう記憶は残っている。ミーハーである。千里は、勿論、草千里より取ったとか。

高千穂峡は、今回の旅のメイン、「深山幽谷」をイメージしてきた。ところがである、通りを少しばかり下っただけで
到達する。徒歩の時代なら、深山幽谷でも、交通の発達した現代では、なんということもない。あっけな過ぎる。
遊歩道も修理中、金属パイプが組み立てられていて、景色を壊していた。

遊歩道の終わりは公園。桃や梅の花が咲いていたのも、なぜか、イメージを壊してくれていて、味気ない。
幽谷を訪ねど里の桃の花
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旅行2日目の昼食は、湯布院に入る前だったか、後だったか、もう記憶にない。
金持ちは「城下かれい」を食していたようだったので、おそらく前だったのだろう。
雨は相変わらずであったが、憂さは取れて、旅に没入できるようになってきた。


蓮根の街といわれる竹田は、荒城の月の城下町でもあるが、土居晩翠ゆかりの地から来た我々には、ガイドさんも心得ていて荒城の月の宣伝はほどほどにしていた。(蓮根はトンネルを表す。街にはトンネルを通らなくては入れない)
民芸村見学を止めて、私は単独で市立図書館を訪ねてみた。時間がなくて、行って帰っただけだったが、道を訊いた女子中学生が親切だったのが印象に残っている。武家屋敷の門に飾られた「おひなさま」も風情があって、面白かったのでカメラに収めた。
宿泊地は、阿蘇内牧温泉に入り口にある古いホテルで、ここにも暮れてから入った。
旅人に暖かき街雛かざり
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中津を出てバスは宇佐八幡宮へと向かう。
冷たい雨が降り続く。

宇佐八幡は全国の八幡宮の総本山だとか、それがどんな意味を持つのかは、無学の私には見当もつかない。
宇佐鳥居という様式。写りの悪い写真で恐縮だが、鳥居に屋根が掛かっていること、柱の上部に黒い輪があること、脚に土台があること、この3点が独特の様式だと聞いた。
私は、「憂さ取り去る」と独りがってな読みをして、鳥居に祈った。この身内にある憂さが、消え去ってくれるのを祈った。
宇佐の後は、雪が舞う湯布院へ。NHKの朝のテレビ小説の「風のハルカ」の舞台になっているとか、我が家では見ていないのでわからないが、タイトルのバックに湯布院の風景が流れているそうだ。その中の金鱗湖畔のシャガール美術館を一人で訪ねた。「サーカス」がコレクションの中心だった。
帰り道の湖畔で、気の強いアヒルを大形にしたような鳥に追っかけられた。鳥にも怪しい奴にみえたのだろう。
熱帯魚棲むみづうみや春の雪
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旅行の2日目は玄海さつき温泉で目覚めました。
昨夕は、入日の遅い九州ではありましたが、日没後の宿到着で付近の様子がまったくわからないまま、眠りました。ホテルの所在地は宗像市田野であります。以前の地名は玄海町で、玄海灘沿いの町でした。
バスガイドさんも市町村合併で、折角覚えた自治体名が、どんどん変わっていくこと、それも前の自治体名とは無関係な名の登場に悩まされていることが、4日間で、よくわかりました。
前日は門司港あたりで小雨がポツポツ降った程度でしたが、2日目は雨。苅田町、行橋市から中津市に入ったころには相当強い雨になりました。福沢諭吉記念館を訪れたころが、一番激しかったようでした。

同行メンバーに私たち夫婦と同年輩ですが、今でも十分な美男美女カップルがいらっしゃったのです。お二人とも
わが夫婦よりそれぞれ20センチ近くの上背のある、衣装装束も着こなしも素敵なカップルで、なるべく近くには寄らないでいたのでしたが、諭吉記念館で隣になってしまいました。夫が妻に説明しています。「諭吉が慶応大学を大隈重信が明治大学をつくったんだ」これで、少し私も近寄りやすくなりました。ちょっとした記憶違いなのですが・・・。写真は、雨に濡れる諭吉の旧居です。
数輪の花咲く諭吉記念館
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「初売り名湯ミステリーツアー4日間ー湯けむり九州縦断スペシャル編」というツアー旅行に参加した。
ミステリだからどこに行くかは出発の空港で明らかになる。
宿泊所は、玄海さつき温泉・阿蘇内牧温泉・隼人温泉と、名湯なのだろうが、私には初耳の温泉で、かえって良いと思った。
多分、この旅行で、こころの整理をつけて、家内は、入院手術をするだろう。ずっと、先送りにしてきた懸案だから、いい加減に覚悟を決めて欲しいものだ。難しい病気でも、手術でもないのだが、本人は次の旅行後、次の旅行後と延ばして来たのだ。

福岡空港に着陸。自動車道で北九州市の門司に行く。
レトロ地区散策時間は、国際友好記念図書館へ行ってみた。
北九州市立図書館の一部で、おそらく指定管理者に任されたところだと思う。
職員は、別に、訓練された接客業のプロとは正反対の対応でカウンターの奥で二人が、小声でおしゃべりしていたようで、顔を、この老人の闖入者の方に向けることは、なかった。利用者は数人いたが、いわゆる受験生らしい人が3人ほどいらっしゃり、新聞を見ておられる老人が1人いらっしゃっただろうか。
案内パンフは、よく探してみたが、発見できないで帰って来た。
門司からは、宿泊地直行で、初日は終わった。
筑紫なる遠賀川畔の桃の花
門司へ行く自動車道の春の草
片隅に菜の花咲いてをりまする
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雪の多い時の草津、雪道を心配したが、路面はよく除雪されていたようだった。
屋根の雪は、さすがに多く、人の上に落下しては大変、三層になって凍っているようだった。
湯もみショーは、500円、土産話代金と思えばいいか。
公演小屋のすぐ隣のホテルが宿舎だったので、まあ、気軽に行けた。
草津町の町会議員をしている友人に電話をした。留守だったので留守電に美声を残してあげた。
町長選挙が22日にあるらしかったので、忙しいのであろうか。
栗生のハンセン氏病療養施設で、テレビニュースで拝見したことのある79歳だが、私よりずっと若々しい自治会長さんにお話をお伺いした。この件に関して、ほとんど、無知、無関心で過ごしてきた自分を知ったが、その話が呼び水になって、患者を強制的に瀬戸内海の島に連れていった小学1年生ころの記憶が甦ってきた。それしか私の中にはない。うしろめたい気持ちを少し持った。
ソバ屋で昼食を食べていたら、店先にテレビの撮影クルーらしき一団が集まってきた。外に出てみると、漫才師の「大介・花子」がいた。旅番組の収録らしい。わたしの仲間たちの、ほとんどが、「大介・花子」を知らない。わたしは花子さんが警察官だったことまで知っている。ハンセン氏病については、ほとんどゼロのわたしの関心は、漫才・落語・浪曲方面等の演芸には向いている。
ただこの方面でも記憶が減退して、大介・花子の苗字の部分がいまも思い出せない。どうでもいいことだが、認知症が心配である。老人用「公文教室」ができれば、通うようになるかも知れない。
根雪踏む水道検針婦の足運び
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朝6時、草津へと旅立つ。
2年ぶりか。
「草津よいとこ一度はおいで」といわれてきたが、縁がなくて、平成16年まで一度も出かけることがなかった。
だから、こんなに早く、二度目の機会が訪れるとは思っていなかった。
縁は不思議である。
雪道は心配だが、いい道行きになればいい。
明日帰るが、遅くなる。ここに登場できるかどうか、微妙である。
松過ぎて未明のうちの鹿島立ち
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ここは串本向かいは大島。その大島へ、弘法大師が橋を懸けようとする。天邪鬼が邪魔する。かくて橋の杭だけが残る。お大師さまには悔いが残る伝説があるそうだ。
杭と見し岩に陰影冬朝日
串本を出て車は、熊野灘沿いに走り、中部国際空港を目指す。途中伊勢に寄る。伊勢では内宮には行かずに、おかげ横丁を彷徨う。思いがけず「神恩太鼓」というグループのライブ演奏を聴いた。のりのいい太鼓のリズム、笛の抒情性。CDが出てるそうだ。そこそこ売れるだろうと思う。山口誓子俳句館と徳力富吉郎版画館でしばし時間を忘れる。
三重はお茶とみかんの産地だった。認識不足。名古屋港付近は変化が大きく、赤、白、青のトリトン橋はレインボーブリッジの比ではない。まだ1歳にならないセントレア空港から真っ暗な空に飛び立ち、旅が終わった。

憂さ捨てる冬日の旅や伊勢街道
赤福を左に曲がり笛太鼓
錦木や東名阪自動車道
刈田行くわが終点はどの辺り
鈴鹿路やみかん畑の大銀杏
三川を越えて濃尾の冬に入る
弟はセントレアーの冬灯火
とにかくも冬の我が家へテイクオフ
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奥の院めぐりを終えて、那智の滝まで走る。
吉野川・日高川は前日渡ったのか、記憶も既にないが、有田川も渡ったはず。
一番記憶に残っているのは熊野川。
水量はそれ程でもなかったが、川幅広く、水もきれい。
河原に案山子があったのは、簗のポイントを示す目印だろうか、珍しい風景を見た。

秋日さす日高の川の白き石
名も知らぬ谷底までの紅葉かな
清姫の生れ在所や冬隣
下り簗壊れしままに冬待つや
熊野川河原の案山子何をする
大瀧やわぎもが袖の黄一葉
延命の水大瀧にかざし飲む
瀧本のお堂の裏の枯すすき
色変えぬ青岸渡寺の大樹かな
冬待つや熊野古道の夫婦杉
夕焼けて潮岬の灯が届く
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高野山の宿坊は、加賀前田家ゆかりの天徳院。宿坊だけにホテル並みとはいかない。
暖房が、一番の問題で、食事の精進料理は、我が家と比べて、粗食とはいえないのが哀しいか。
小堀遠州の築いた庭園が見所とか、その庭園が見下ろせる絶好の角部屋に割り当てられたのは、ラッキーということなのだろうが、私には、その幸運を活かす庭園鑑賞力がない。
高野山は、標高1000メートルの山頂部が盆地という特異な地形であることなど、初めて知ったことが多い。とくに驚いたのは、戦国時代から江戸時代の有名人物の石塔が立ち並んでいる他、一般の宗派を問わない霊園として機能していることであった。江戸時代の大名の石塔は、禄高なりに巨大で、参勤交代と同様、江戸幕府の大名管理、つまり、石塔づくりに莫大な金を使わせる狙いがあったそうである。
僧侶を嫌って延暦寺を焼き討ちした信長の墓が、ここにひっそりとあり、比較的最近、発見されたそうだ。施主は分からないそうだ。高野山は懐が深いということだろう。
着膨れや天徳院の朝勤行
炬燵から遠州の庭見下ろしぬ
信長の石塔もあり冬木立
空海の入定廟の寒さかな
底冷えの奥の院から母想う
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上の写真は、長谷寺からの帰り道の街筋の屋根で見つけたもの、沖縄のシーサーみたいなものなのか?他には屋根の端っこに大黒さんが1体あっただけで、この地域でも他では見かけないものなのだったので、パチリ1枚。
願懸けて恵比寿大黒左様奈良

長谷の次は、多武峯の談山神社、大化の改新ゆかりの神社で、13重の塔がある。高野山までは西日と競争したが、日の落ちるのが速かった。
大和なる多武の峯の楓かな
十三の塔重なりて色葉散る
大和路の女人高野や枯れ薄
高野への道は冬道曲がり道
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無季句とも川柳ともつかないメモがわりの句を羅列して、旅の覚えとしたい。
伊丹に久しぶりに下りた。このところは大阪は関空ばかりだったので、何年ぶりになるのだろうか。
客待ちのタクシーの列縮まざる
最初の観光地は、長谷寺、春は牡丹の寺として有名らしいが、今は、やはり紅葉がいい。
こもりくの初瀬の寺の照葉かな
灯篭も名高きと聴く登り廊
草餅を売る店店の老婆かな
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サンゴ草の群生地を後にして、きつね村、三国峠、大函、層雲峡を経て、旭川に宿泊する。その間の写真はすべてに配偶者のアップの顔があって公表できない。猥雑物陳列罪に問われる恐れが強いからだ。
4日目のコースは昨年6月利尻・礼文旅行からの帰りのコースと同じ、旭川の宿舎も同じであった。6月にはラベンダーで一杯だったファーム富田は、上の写真。花はすべてサルビアだそうだ。赤しか知らなかったのでなぜか得した思いをした。
桂沢湖沿いに三笠市に下りて行く道や、三笠市内の炭鉱離職後放置され崩壊した民家などの記憶はなぜか鮮明に残っていた。
三笠市のすぐ北隣の美唄市では、法律に基づいて設置した公の施設は指定管理者に任せないことにしたとのニュースを想起しながら、道央自動車道にのり、岩見沢サービスエリアで小休止をとった。そして、旅は終わりに近づく。
4日間同行した旅仲間は48名、うち44名がわたしたちと同年輩の夫婦で、集合時間の5分前には必ず出発できる状態になる優等生ばかり、ガイドも添乗員もみんなから好かれるような方たちで、天候にもまずまず恵まれて、めでたし、めでたしというところで、旅の感想を求めるアンケート用紙が配られた。そこに記載したわたしの1行がいけなくて、添乗員が、てんてこ舞いの大騒ぎをすることにあいなった。
「キャンセルになった知床の遊覧船代金は?」貧乏でケチの我輩が書いた1行を最後のバスストップの道産市場で読んだ添乗員、会社に連絡、返金指令を受け、換金準備とおおわらわだったらしく、バスに戻った我々に謝罪の言葉を大声で繰り返し繰り返し、そこで配られるはずの集合写真の話などどこへやら・・・。そこは、優等生の旅仲間、つり銭の出しやすい小金を用意して、添乗員に大協力、どうやら、返金は終わったが、ガイドさんの最後の挨拶が、ガイドさんは、ガイドさんなりに用意していた最後の挨拶をする時間がなくなり、はしょった挨拶で終わりとなる。
思わぬ返金で、空港内でみやげ物をあさる我々を探し探し、集合写真を配り歩いた添乗員さん、ご苦労様。アンケートの添乗員評価、最高点をつけておいてよかったと思う。
川柳を。 旅を終え添乗びとを思いやり
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天都山見学後は網走湖畔のホテルに宿泊、翌朝一番で、すぐ近くにあった網走監獄博物館を見学した。監獄見学などしたくなかったし、オプションでもあったが、その時間バスにのって待っているだけというのもつまらないので、気が進まなかったが参加した。
参加は正解で、観光旅行とは異質の学びがたくさんあった。ひとつは「刑務所図書館」で既に報告している。最大の学びは、わたしの日本史理解の水準の低さを改めて知ったことだろう。北海道開拓史など何にも知らない。
吉村昭の『破獄』を帰宅後読んだ。これも監獄見学の成果だろう。
監獄の後は、上の写真のところに行った。これはもっともっと赤くなるそうである。ただ、管理が行き届いていないので、あるいは枯渇していくかも知れない。ここにも移植したそうだから、生命力は強いのかもしれないが、近くの工場からの排水なのか、油が浮いていたのが気になった。
川柳を。 サンゴ草盗む老婆の尻の泥
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知床遊覧船には海が荒れて乗れなかった。このことが最終日の大騒動に連なるのだが、それは、さておき、我々は「知床さいはて市場」の直後に、また同種の「網走海鮮市場」を訪れるというスケジュールに喜んだり、あきれたりしながらも黙々とこなした後に、天都山に登った。
展望台からは、網走湖、能取湖、網走刑務所、涛沸湖、藻琴湖などが見えた。写真は手前が網走湖で、奥が能取湖である。この写真をとり終えて、二、三歩歩いたとき、ふと志賀直哉の『網走まで』が頭に浮かんだ。情けないことに浮かんだのは、その文字だけで、小説の中身は、一行すら思い出せない。どんな小説だったのだろう。
そして、さらに情けないことに、そのことすら、今ここにそのときのことを書こうとするまで忘れてしまっていたのである。明日もし覚えていれば『網走まで』を再読しようかと思う。
川柳を。 網走の囚人道路の名ぞ悲し
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奈良の若草山の鹿は野生といえるのだろうか。14歳くらいのときに見た記憶だけなので、しかとはわからない。
金華山の鹿は、間違いなく野生である。知床の鹿も当然野生だが、どこよりもおとなしい気がした。
写真は車窓より望遠で撮った一枚だが、ひとや車を恐れる様子がまるでない。帰りに見た鹿はバイクのすぐ傍に立ってライダーがカメラを取り出し、写し終えるまでじっと立っていた。それを、我々もまたバスをすぐ傍に止めてみていたのだ。
鉄砲で追われた鹿のDNAを受け継いだ鹿がいないのだろうか。ちょっと不思議な光景をみた気がした。
川柳を。 馬面の我輩鹿にシカトされ
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金曜日は「小説のなかの図書館」を連載していくことに決めているが、守れない。意志薄弱なのだ。旅日記を連載中なので、今日は、言い訳ができる。それが嫌で地元の図書館まで、書く対象の本を借りに歩いて行ったが、月末の金曜日、定休日で、無駄足になった。まぬけな意地っ張りの見本となる。
知床五湖への上り道が渋滞していた。世界遺産登録の影響だとか。その日は、ウトロ港からの遊覧船も海が荒れて朝から欠航していたので、勢い五湖に集中したらしい。他にヴューポイントが少ないため、折角きたのだからと粘る人が多いとかで、凄い混みようであった。五湖入り口の駐車場のキャパをはるかに超える車の数。五湖全部を巡ると2時間は掛かるだろうから、長時間待ちとなるのは必定だろう。
そこは観光バス。優先権があるらしく、下り車線を上って、一気に駐車場へと入れた。自家用車の人たちに悪いような気がしたが、そういう慣習があるのなら従うほかない。自家用車最後尾の車、おそらく5時間は待ったのではないだろうか。
一湖と二湖だけで我々は帰った。えぞしか六頭に出会った。いずれも悠々と餌を食んでいて人を恐れる様子はない。
川柳を。 渋滞にあってみずうみ価値を増し
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バス旅行は、道路がたより。北海道の道路は、直線道が多く、整備もされていて、気持ちよく走れる。更に、よくしようと、道路工事中の箇所もいくつかあった。
今回の衆議院選挙は都市部浮動票が大きく作用したと聞く。それに押されてか、道路族のボスの古賀さんが、道路財源を聖域視しない発言をした。北海道の道路整備もやはり見直しがされるのだろうか。
知床の大自然も車内いるかぎり、それ程の原始を感ずることはない。車窓からキタキツネやえぞ鹿を見かけても、まあこれも想定の範囲であったが、峠で車外に出てみて、その風の強さと冷たさに驚いた。これから秋が深まり冬になることを体に理解させることが出来た。
国後島が見えた。天気がそれほどでもなかったので、幸運というべきか。ここが、なぜ外国の領土になってしまったのか。歴史は後戻りしないので、自分の頭だけでも戻ってみようと思った。
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いよいよ知床に入った。
世界遺産指定後、すごい人気で、いま北海道観光の目玉中の目玉になっているとか。
車の数が一気に増えているとか。
オシンコシンはアイヌ語で、なんとかかんとかと説明を二度も受け、現場で看板も読んだのにもう完全に忘れている。もっとも最初聞いたときは「おしん」に関係ある地名か、などととんでもない連想をしていたのだから、どうしょうもない。
またまた下手な川柳を一句 指定受け渋滞を知る知床道
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四度行って四度、霧で見えなかったという人もいる摩周湖に霧がなかった。ほっとした半面、何かはぐらかされたような気分にもなる。
あおい中の蒼い湖水が印象的である。光の加減なのか、同じ水面に濃淡があって美しい。
振り返ってみると、今朝出発してきた阿寒方面の山並みもきれいに望めるが、山頂部はやはり雲があってみえない。天候に恵まれてというべきなのかどうか、すこし微妙である。
こう見えちゃ霧の摩周湖名が泣こう
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初日の宿泊は、阿寒湖温泉だった。暮れてから入ったのでホテルの外観などは翌朝になってわかったが、中の中、平凡な宿舎であった。
阿寒湖の観光は、日程にはない。勝手に見物せよということらしい。朝早く日の出を待って湖畔に出てみた。結構冷え込んでいる。ジャンバーを持ってきて正解だった。
6時だというのに、もう観光船が動いている。定期船なのだろうか。雌阿寒・雄阿寒の山頂部は雲で見えない。
駄洒落川柳を 薄着では阿寒湖観光あかんでえ
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ミステリー旅行は出発の空港で、4日間の行程表が渡されてミステリでなくなる。ここはミステリで押し通すべきだと思うが、行先は想定の範囲内、どっちでも同じようなものではある。
バスガイドのお嬢さんが、一番おおはしゃぎをしたのが晴れの日勝峠、上の写真のところである。十勝平野が、こんなに見渡せたことがないので、騒いだらしいが、わたしたちは今の姿しか知らないので、特別の感慨はない。そういえば、8月にここをオートバイで下ったS君の話では大雨だったとか。雨でなくても霧や靄で見えないときがおおくあるのだろう。
素直にガイドさんの喜びに付き合って喜んでおこうと思った。
駄句ながら、川柳を1首。 日勝を越えて十勝を目におさめ
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