0.はじめに
これは、私の個人的な体験をとおして考えたことを指定管理者を考えるときの参考材料に供したいと、書き留めておくものである。この体験をとおしてみられたことが、日本の指定管理者施設に普遍的にあるのか、極めて限定的にあるのか、私には分からない。(指定管理者がうまく機能している施設があれば教えていただきたいと思う)
1.体験したこと
昨年2010年11月のことである。コルデコット賞(註1)を受賞時の挨拶をまとめたスピーチ集を和訳していて、確認したいことがいくつか出てきた。土曜か日曜であった。市立図書館まで出かけて行って、いくつかの疑問を当該絵本を見つけて解決していったが、1冊だけが見当たらない。自宅のパソコンから図書館にあることは確認していたので、館内のパソコンで調べると、地区公民館に貸し出していることが分かった。そこで、その公民館に行き、事務室にいた方に来意を告げると、閲覧も断られた。今日は図書室は開いていない、土曜日曜祝日は休みだということであった。
後日、市立図書館の職員に、この事実を伝え、こういった場合、図書館で依頼状のようなものを発行し、それを公民館の職員に見せれば、貸し出しはともかく、閲覧だけでもできるように改善をお願いしたが、まだ改善されていない。
2.この体験で分かったこと
私が公民館だと思っていたところは、公民館ではなく、「市民センター」であり、その管理運営は指定管理者があたっている施設であった。ということは、私が図書館に申し出た改善提案は、図書館に改善の意図があったとして「市民センター」を管轄する総務部市民協働課と教育委員会生涯学習課の両者と協議し、その結果を持って指定管理者と協議するという手続きが必要になるのであろう。そこで、指定管理者導入までの経緯を調べてみた。以下は市ホームページからの引用である。
「○○○市民間活力の推進に関する指針及び同推進プラン(平成18年9月)並びに協働のまちづくりの推進策として、地域づくりや生涯学習活動の拠点である公民館を発展させ、地域まちづくりの拠点機能を併せ持つ地域の総合拠点とするため、平成19年4月から公民館に市民センターの併設を行いました。
さらに、地域が管理運営を行うことにより、地域活動が更に活発化し、施設活用の増大など、その効用を最大限発揮できるものと考え、平成21年4月から指定管理者制度に移行しています。
| 指定管理制度導入のねらい |
①地域の活動が更に活発化し、施設活用など施設機能を十分生かせる。 ②地域住民等との強力なネットワークにより、住民ニーズに対応できる。 ③施設運営に係る人件費を節減できる。 ④さまざまな事業展開により、地域力の増大、地域活性化に期待できる」 |
ここで重要なことが分かった。それは、公民館を発展させたのではなく、単に廃止したことだ。法的に言えば「社会教育法」を切って捨てたということになる。社会教育法の何たるかを知らない人が管理運営にあたっているということになるだろう。地域に密着すればするほど、戦後日本が獲得してきた民主的法体系から、かつての慣習法が支配する「ムラ社会」への回帰がすすむのではないかと危惧する。(後述)
さらに上の引用から行政内部の問題を推量すれば、公民館に併設したはずの「市民センター」が公民館を捨てたことが大きな問題になったはずだ。これは生涯学習課(社会教育課)の軽視に他ならないからだ。後発の総務部市民協働課に押しのけられた生涯学習課が面白くなく、住民には無関係の両者の感情的軋轢があり、意思決定に余計な時間がかかりがちだと聞く。
こんな行政内部の問題とは無関係に住民へのサービスがきちんと行われていれば、私も、とりたてて問題にはしないのだが、そのサービスをする体制が出来ていない。わざわざ尋ねて来た住民の5分もかからない願いを「私の仕事の範疇外だ」と断る。確かに、その職員は、命令された仕事を忠実に果たしたのだと思うし、自分の職場が賃金を得る場所以外の何であるのかを考えたことはないとしても致し方ないように思う。
民間活力の導入推進の際、為政者たちは「土日祝日夜間労働を拒否しがちな公務員労働の硬直化」を徹底して叩くことから出発した、そうして出来た彼らの考えの完成型である指定管理者の管理する施設で、「土曜日曜祝日は休みだ」という。これほど住民と公務員を愚弄した策がどこにあるのかと私は思う。そうして、それは「市民協働のまちづくり」の基本精神を謳いあげた以下に引用する「都市宣言」を完全に無視している。これまた住民の期待に大きく背くものだ。
3.具体策は基本精神を裏切る
市民協働のまちづくりによる都市宣言
みんなでつくる安全安心のまち
自然と人が融和するまち
愛があふれる子育て支援のまち
だれもが本に親しむまち
あいさつがこだまするまち
心うきうき明るい食卓のまち
以上の6項目からなる「まちづくりの目標」には、それぞれ簡単な説明文がついている。本稿にぴったりの「だれもが本に親しむまち」の説明は「生涯学習は、人生を豊かにする源です。「読書」は日常生活に必要な「聴く・話す・読む・書く」といった能力を高めるだけではなく、将来を担う子どもたちにとって人生の可能性を広げるきっかけにもなります。先人の知恵と知識が凝縮された「本」を個人・家庭・地域に広め、読書が習慣化されるまちづくりを目指します。」となっている。
私を応対した市民センター職員は、この「都市宣言」を知らない。知っていれば、図書室の鍵を開けてくれたはずである。命令されていないことであってもである。
ここで市民センターの指定管理者の運営業務について、関係部分を引用する。
①協働推進事業
②地域づくり団体の支援及び相談事業
③地域リーダーの育成
④生涯学習事業
⑤定期教室、学級等の開設
⑥スポーツ・レクリエーション等に関する大会や集会の開催
⑦図書、記録、各種資料の整備、利用の推進
⑧社会教育活動を行う団体・サークル等への情報提供及び連絡調整並びに各種相談
⑨センター活動に関する広報業務
この⑦図書、記録、各種資料の整備、利用の推進と私の願いにこたえることは本来業務にきちんと入っている。休日はその業務を行っていないだけである。しかし、これは小さなことではない。本来業務である「図書の整備、利用の促進」、その図書の整備が自力では出来ないから、図書館から借りているという事実を理解していない。また、運営次第で図書館の分館機能を持つ、図書館から遠くに住む人々にとっては、恰好の施設になりうることを理解していない。そこで管理者に問題はないのだろうかと、指定管理者の選定方法をみてみた。以下もホームページからの引用である。
地域に指定管理の受託できる団体として、地域自治組織を育成し、今回、8つの自治組織から各市民センターの指定管理者としての申請があり、○○市指定管理者選定委員会の審査を経て選定しています。
なお、審査の際の候補者は公募によらず、地域自治組織に限定し審査を行っています。
施設ごとの指定管理者は下記のとおりです。経費については、直営経費(H19実績額)と比較し、71百万円の減となっています。
直営と指定管理の経費比較において、事業経費についてはほぼ同額であり、人件費面で市職員ではなく、地域の人材活用を行う事で経費削減を図っています。
子育て繁忙期を過ぎたお母さんや、早期退職者など地域には隠れた人材がいるものです。こうした人材を発掘し、まちづくりに参加してもらうことがポイントであると考えています。
【施設ごとの指定管理者】
(1)○○東市民センター ○○ひがしネットワークコミュニティ
(2)○○西市民センター ○○西コミュニティ協議会
(3)○○市民センター ○○まちづくり協議会
(4)○○市民センター ○○地区自治協議会
(5)○○市民センター ○○コミュニティ協議会
(6)○○市民センター ○○地域まちづくり協議会
(7)○○市民センター ○○まちづくり協議会
(8)○○市民センター ○○コミュニィティ推進協議会
指定管理者の担い手は、各地域の自治組織になっており、それは同時にまた、以下に引用する文中にある
「○○○市では、平成17年度より、市民協働のまちづくりに取り組んでいます。
将来にわたり住み良いふるさと「○○○○」を維持していくために、地域に直接かかわる具体的な課題について、市民が主体的にまちづくりに取り組み、地域単位でまちづくりの立案運営を可能となるような自助自立型のまちづくりを目指しています。」
課題解決を期待される極めて大切な組織である。ところが、この組織、いつ誰がどのようにして対象地域の住民の意思を問い結成されたか明らかではない。少なくとも私にはその意思を問われた記憶はない。それが、もう既に「市民センター」の指定管理者として公に認知される存在になっている。かくして既成事実が作られたのである。
私が、2.の文中で「戦後日本が獲得してきた民主的法体系から、かつての慣習法が支配する「ムラ社会」への回帰がすすむのではないかと危惧する。(後述)」と書いておいたのは、このことに関係する。そして、指定管理者選定方法のところで引用した文中の「子育て繁忙期を過ぎたお母さんや、早期退職者など地域には隠れた人材がいるものです。こうした人材を発掘し、まちづくりに参加してもらうことがポイントであると考えています」にも関係する。
これらの引用した文書は、市役所職員が書いた文である。公文書である。このなかに正直すぎるほど、市役所のネライが表現されている。つまり、市役所職員を削減し、サービスが落ちても仕方がない、住民からの不満が顕在化すれば、住民自身に解決してもらおうという魂胆を明らかにしていると言える。
地域自治の担い手となる自治組織は、地域住民が選ぶものであるから、市役所は関知しない。つまり、民主的に選ばれた人によって民主的に運営されているかどうか中身にはタッチしない。また市民センターの要員採用へのアドバイスをこう堂々と公文書中に書くとは、恐れ入る。安い賃金だから、人は集まらないという負い目があったのだろうが、そこには、「住民にあまねく周知し公平に選らんでほしい」というようなことは全く出てこない。ボスが適当に選んでいいと言っているようなものだ。
「ムラ社会」への回帰、これは大げさではない。私の集落の神社の祭礼を例にする。氏子数が減って、運営が難しくなったので、地区総会に図って地区民全員に当番を割り当てた。全会一致の決定である。この種の提案はボスによって行われ、反対意見を言う人はいないのが通例。神社の祭礼は、宗教行事である。これを全員に強制して憚ることがないのだ。憲法の信教の自由への理解などまるっきりないのである。
これが対行政なら、文句や異議はいくらでも言えるが、地域のボスには言えない。果たして、為政者は、そこまで見越しているのであろうか。私は見越していると思う。
4.おわりに
市直営にしろ指定管理者にしろ、その施設の機能が十全に発揮されるためには、そこで働く職員の意識と能力が重要となる。つまり人次第なのだ。業務内容が法規で細かく規定されている部門はともかく、社会教育の分野は、自由裁量の幅が広く、それこそ、人次第の分野である。行政は、公務員試験という競争試験で、公平に、職員を採用することにしているが、これは最低限のレベル維持という機能を持っているだけで、社会教育の分野では、特に、専門的知識とそれを常にアップデイトしていく自己研修姿勢、常に向上心を持つ情熱を持つことが重要な分野なのだ。その特性を為政者たちは重要に感じてこなかった。
その結果、社会教育施設も人事異動の一つの部署でしかなく、知識も意欲もない職員が配置されるケースが多くなり、結果、指定管理者が管理する職場となんら変わりがない職場となったところも多く見られるようになっていたのかも知れない。
「子育て繁忙期を過ぎたお母さんや、早期退職者など地域には隠れた人材がいるものです。こうした人材を発掘し、まちづくりに参加してもらうことがポイントであると考えています」こう市民センターの職員採用について堂々と書いて恥じないのもそうした現実の反映だったのか。市民センター職員の採用の実態を知らないで、こう断定しては、言い過ぎかもしれない。が、社会教育や地域づくり活動に理解と知識を持つ隠れた人材を見つけようと努力した形跡が全く見られなく、実際にいる職員も、そのようには見られなかったから、そう断定した。採用の経緯をオープンにして、私のような勝手の見方を封じる対策もとっていただきたいと思うが、その大元の組織「コミュニティ協議会」自体の形成過程、規約、役員さえも明らかにしていないのだから、期待はまったくできない。
このようにして、行政は、住民からだんだん遠く見えなくなっていく。「地域住民等との強力なネットワークにより、住民ニーズに対応できる」というスローガンが、いかに空洞であることか。具体策は常に基本精神を裏切り続ける。私たちは、そうならないよう注視していかなくてはならない。
註1:コルデコット賞は前年にアメリカで出版された絵本の中から最も優れた作品を描いた画家に贈られる賞で、アメリカ図書館協会が選定する。
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