黒井千次の『日の砦』を読んでいた。腰痛で臥せっている退屈を紛らわすためである。もちろん、名前は、よく知ってはいた作家だが、作品を読んだ記憶はない。いや、『たまらん坂』を拾い読みした、そんな記憶が残っている。
短篇連作集で、東京郊外(かつての私と同じ棲息地)に住む定年退職したサラリーマン群野高太郎一家の些細な日常を描いているだけの小説である。それがつまらないと言ってるのではない。少なくとも、読んでよかった。
「冬の腰」を読んでいて、「うまいことかっきょんのう」と思った。なにしろ、自分の実況中継。
ーそんなことを考えるゆとりがあったのは、幸いに腰の痛みがやや収まっているためだった。急いで歩く気にはなれなかったが、人通りのない歩道の脇をゆっくり辿るのにさほどの困難はない。初老の男の散歩姿くらいには見えるのではないか、と自らを慰める。(略)一週間ばかり前から腰がどんより重かったのは事実だった。しかしかつて経験したぎっくり腰のような突発性の激痛に襲われたのではなかった。朝、顔を洗おうとして洗面台に屈み込む際とか、ソファーから立ち上がろうとした折などに、ある角度で腰を曲げると短い痛みが走るようになった。初めは冗談めいた刹那の軋みが、次第に腰の奥に棲みつく気配を見せるにつれて、不安が頭を擡げた。堪えられぬほどの痛みではないだけに、かえって慢性化しそうな不安があった。このまま次第に歩けなくなったり、杖を使わねばならぬ事態に陥ったりしたら面倒だ。ー
「上手に書いているなあ」と思った。
文法的知識がないので、正しくは説明できないが、「書く」の変化した形が「かっきょん」である。「大きい」はオッキョイとなる。「かっきょん」の「ん」は、「かっきょる」の「る」の変化。
こういう音変化だけで、実は標準語とそうは違わない表現が、方言的雰囲気を盛り上げているのであろう。
自転車のケイタイ少年敗戦日
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