2008/08/25

すれ違う人々  その3

登山おじさん、ペアルックの方々とは東西に走る道路上で会うが、きょう紹介する「チョッキおじさん」は、南北に走る道路で会うことが多い。直線路を往復する歩き方ではなく、町内を大きく一回りする、そんな歩き方をする方である。

今はチョッキではなく、ベストと言うそうだが、そのおじさんも私も古いのだから、チョッキでいい。彼は、いつも、真夏でも、Tシャツの上にチョッキを羽織っているのだ。ボトムは半ズボン。野球帽。そしてIpodか、MDプレイヤー。ヘッドフォンで音楽を聴いているのか、語学の勉強をしてるのか・・・。

  秋の蚊や十善戒を唱えたり

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2008/08/22

ばばい

曇った空の一角が突然晴れて一条の日の光がちょうど、自分めがけて射してきた。眩しい。こういうとき、ばばゆいとかばばいいとかばばいと言う。広辞苑にも「ばばいい」は載っている。まばいと言うときもある。これは、「まばゆい」が変化したものだろうか。ばばいから変化したものだろうか。

方言と言っても、古語が残っていたり、その古語から変化したものであったりで、その地方で発生し、その地方でだけ通用する、「純粋方言」はあまりないのかもしれない。

この「純粋方言」だけの辞典を各県単位で出してくれると面白いのだが、限定された場面での用例、語源の推量とかなり大変な作業となる。そして、肝心の発音編が出版物とは別の媒体になって、いよいよ高価となりそう。実現性は極めて少ない。

「市史」等の郷土資料に収録された「方言集」も、各県版の「方言辞典」も、厳密な編集方針を持つ、学問的に精査された出版物は少ない。私が書いてる記事も半世紀前の用例、それも壊れかけた記憶に頼っているもので、酷いものなのだが、言語学的にも水準を越えた方言辞典をつくろうにも、言葉は生き物、同じ県内でも違い、時代によっても違う。だから、お土産店ででも扱うような「おもしろ方言集」しか、世に出てこないのかも・・・。

このインターネットの世界もまた同様で、言語学者や研究者による「方言辞典」は発表されていないようだ。労多くして益少ないことは言語学者や研究者はやらないのだろうか。私のこの一連の記事もそろそろ終わろうと思う。所詮、つまらないブログのネタのひとつでしかない。

 酢橘あれば大根一鉢おろしけり

  

 

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2008/08/21

つくまみおにさん

遊びは、異年齢の子どもを交えたものが多かった。弟や妹の面倒を見ながら遊ぶわけだから、小さい子どもが参加出来る遊びをすることになる。

「かくれんぼ」「おにごっこ」が定番だが、「おにごっこ」では、小さい子が不利だ。そこで「つくまみおにさん」をすることになる。つくまむつくなむと言うときもあった。「しゃがむ」ことだ。小さい子は、おにごっこでつかまりそうになると、しゃがめば、鬼にならなくてすむ。今は、そんな遊び、消えてなくなっているのであろうか。

  稲穂出てキチキチバッタの出番なり

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2008/08/20

下駄のはま

「あめー止んだばっかりで、道路まだ、じるたんぼじゃけん、草履はやめて、下駄履いて行きはんせよ

ー雨が止んだばかりだから、道路はまだ、ぬかるんでいるから、草履はやめて、下駄を履いていきなさいねー

「下駄のはま、よんべ、めげてしもて、わやなんじゃ

ー下駄の歯、ゆうべ、こわれてしまって、だめになっているのですー

下駄の歯を下駄のはまと言う。「ま」はいったいなにものか?

今朝は、雨もあがり、久し振りに暑い夏の太陽が顔を出している。30度くらいになるような予報である。蝉も今を鳴き尽くそうと頑張っている。妻はもうげんなりしている。

  一日をないて過ごすや秋の蝉

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2008/08/19

だすい たっすい

テレビのローカルニュースは毎年同じ頃に同じ話題を取り上げる傾向があるようだ。それも何局が共通の。今朝、青竹で水鉄砲をつくるニューースが放映されていた。1週間くらい前にも、別の局がやっていた。

つくほうの竹に布切れを巻きつける。私は、あの布の巻き方がだすくて、すぐにダメにするにちょうな子どもだったなと思いながら観ていた。

だすいは「だるい」と近縁関係にあると思う。「ゆるい」「しまりがない」という意味だろう。また、「馬鹿げた」「あほらしい」の意味も持つときがある。この意味のときに、つまり心の中の脱力に至ったときにたっすいとなる。

よく母に、(両親は一生懸命子ども達のために働き、教育を受けさせているのに、さっぱり、勉強もせず)「たっすいたってかなわん」と言わしめたものである。

  萎れ果て雨に叩かれ葛の花

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2008/08/18

じゃら

子どものころの遊びで、メンコとかビー球など、勝負して負けると取り上げられる。こういう勝負をほんきいといい、終わると元通りに返すのをじゃらといった。

「戯ける」とかいて、「じゃらける」と読む。ふざける。たわむれる。の意味を持つ古語。明らかに、この流れにある言葉で、「じゃら言うな」は「冗談は言わないで」 「こんな問題じゃらこい、じゃらこい」は「こんな問題は簡単簡単」となる。

ほんきいがヒートアップすると禁止令が出る。じゃらになるとつまらなくなり、別な遊びに変わっていく。大きな「かんから」にメンコを一杯詰めて、蓋をろうそくで水止めして、庭に2缶埋めた記憶があるが、遠くの昔に缶ごと土に返っただろう。

 散歩子の孤影の動き秋の風

 

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2008/08/17

いんでくる もんてくる 

お盆の休みも終わって、また都会へと出て行く。私も何度も何度も後ろ髪を引かれたせつない思い出がある。なのに後ろ髪だけが残ってしまった。

「ほな、いんできます」「こんどは、いつもんてくるん?」

「それでは、帰ります」「こんどは、帰ってこられるの?」という訳でいいでしょう。

いぬは 「去る」「帰る」 もんてくるは「戻ってくる」でしょう。

♪♪ひとり都に立つ朝に 泣いて結んだ靴の紐♪♪こんな流行歌を思い出します。

  故里はただ恋しくて夏果てる

 

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2008/08/16

はしかい

村に床屋ができたのは、いつだったか・・・、床屋で散髪をした記憶が、あるような、ないような・・・。

大抵は祖父か父親に丸坊主にされていた。トラガリになることもあった。髪の毛が背中に入ったりしたら、はしこーになる。ちくちくした感じがして、痒くなるときにはしかいを使う。

けーとのシェーター着たら、首の後ろ辺りがはしこーになる。→毛糸のセーターを着たら、首の後ろがちくちくして痒い。

麦刈りてつどうたら、イガイガが入って、背中がはしこい。→麦刈りの手伝いをしたら、イガイガが入って、背中が痒い。

「あいつははしこい」と言えば「あいつは抜け目がない」「あいつは敏捷だ」とかの意味、別の言葉である。

  黄泉の父母に手向けの冷やし酒

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2008/08/15

うまいことかっきょんのう

黒井千次の『日の砦』を読んでいた。腰痛で臥せっている退屈を紛らわすためである。もちろん、名前は、よく知ってはいた作家だが、作品を読んだ記憶はない。いや、『たまらん坂』を拾い読みした、そんな記憶が残っている。

短篇連作集で、東京郊外(かつての私と同じ棲息地)に住む定年退職したサラリーマン群野高太郎一家の些細な日常を描いているだけの小説である。それがつまらないと言ってるのではない。少なくとも、読んでよかった。

「冬の腰」を読んでいて、「うまいことかっきょんのう」と思った。なにしろ、自分の実況中継。

ーそんなことを考えるゆとりがあったのは、幸いに腰の痛みがやや収まっているためだった。急いで歩く気にはなれなかったが、人通りのない歩道の脇をゆっくり辿るのにさほどの困難はない。初老の男の散歩姿くらいには見えるのではないか、と自らを慰める。(略)一週間ばかり前から腰がどんより重かったのは事実だった。しかしかつて経験したぎっくり腰のような突発性の激痛に襲われたのではなかった。朝、顔を洗おうとして洗面台に屈み込む際とか、ソファーから立ち上がろうとした折などに、ある角度で腰を曲げると短い痛みが走るようになった。初めは冗談めいた刹那の軋みが、次第に腰の奥に棲みつく気配を見せるにつれて、不安が頭を擡げた。堪えられぬほどの痛みではないだけに、かえって慢性化しそうな不安があった。このまま次第に歩けなくなったり、杖を使わねばならぬ事態に陥ったりしたら面倒だ。ー

「上手に書いているなあ」と思った。

文法的知識がないので、正しくは説明できないが、「書く」の変化した形が「かっきょん」である。「大きい」はオッキョイとなる。「かっきょん」の「ん」は、「かっきょる」の「る」の変化。

こういう音変化だけで、実は標準語とそうは違わない表現が、方言的雰囲気を盛り上げているのであろう。

  自転車のケイタイ少年敗戦日

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2008/08/14

かたやり

腰痛の回復がおそい。寝てばかりいると余計に痛む。無理して歩くと痛みが減る。今までにはなかった現象である。

右腰を庇うように歩くと、体幹が右だったか、左だったか、どちらかに傾いだままで、恰好が悪いったらないが、歩いている。同じ時間歩いて、通常の7割も歩けない。

今朝も不恰好な姿で歩いていたら、「かたやり」という言葉が浮かんだ。中学生になりたての頃などに、自分の髪型とか服装などに気を遣って鏡などを覗いている男に対して、かたやりと言って、からかい気味の表現をしていた記憶が出てきた。かたやり、形無し・・・。

もしかして、形無しの反対語がかたやり?いや、違う。「・・・やり」は「やる人」くらいの意味だろう。

  帰省子の先頭に立つ墓参かな

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