弥蔵

ー凍りつくような風だった。やぞうをつくった肩にまで、その風がしみとおるー

北原亜以子の「まんがら茂平次」の一節である。

この言葉、時代小説で、ときどき眼にはしていたが、今までは読み流していた。どうした風の吹きまわしか、今回は読み流さないで、調べてみた。

ネットの辞書には
やぞう【弥蔵】
懐手をして握りこぶしを作り,肩をつき上げるようにした恰好(かつこう)。江戸時代の職人や博打(ばくち)うちなどの風俗。 (大辞林)

テレビドラマの時代劇でおなじみである。だが、その弥蔵とは人名に違いなかろうが、誰なのか。もう少し、調べると、

彌造被り(やぞうかぶり) - 頬被り形で首のところで結ぶ。下に向いた端を折り返し手拭の下を通し、もう一方と一緒に上に向ける。首のところで結ぶので、角度が丁度、斜め上になり、和服で上半身の片方のもろ肌を見せるときの、片腕を懐から通し、斜め上に突き上げる形を「彌造」といったので、それにちなんで名付けられた。(ウイキペディア 手拭)

という記述に出会った。形の名称か?

弥蔵をするやぞうをする):【意味】「弥蔵」は握り拳を人にたとえた呼び名。懐手をして、拳を作って着物を胸のあたりで突き上げるようにする職人や博打うちのしぐさ。(落語・竈幽霊、妾馬:「なんだって弥蔵をこせえるんだな」)(落語・講談によく出ることば)

弥蔵は長屋の熊さん八っつあんのような人名らしい。つまり、一般的な奉公人によくある名前のようで、特定の誰かから派生したものではないようだ。

  麦寒やTシャツ一枚探しかね

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とつかは

有島武郎の『或る女』を苦労しながら読んでいます。

活字が小さい。英語が原綴で入っている。ヒロインに感情移入ができない。それから、ふるい日本語が理解できない。これらが、苦労している理由です。

「始めて口をきく幾人もの男の前で、とつかは物を云うのがさすがに億劫だった」このとつかはが「ふるい日本語」で私には理解ができないのです。ほかにもぶまというのがありました。「気の利かない」「まぬけ」の意味でした。

とつ‐かわ[:かは]-日本国語大辞典

〔副〕(「かわ」は接尾語。「と」を伴って用いることもある)あわて急ぐさま、せかせかするさまを表わす語。卒然。*咄本・醒睡笑〔1628〕五「御養生の湯入りの心しづかなれや、とつかはとして上り給ひそ」* ...

辞書で意味を調べても、しっくりとは分かりません。明治が遠くなったのでございましょう。

  春先の霙か雨か水たまり

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脚点

いつもは読んでいる本から言葉を拾ってきたが、今回は、少し変わったものから拾った。体脂肪率を測定した用紙にあった項目名である。

「脚点94点」とあった。ほかには体脂肪率・BMI・内臓脂肪レベル・筋肉量・基礎代謝レベルなどの項目がある。

日曜日、雪のため運動ができなかったので、近くのジムで、少し体を動かしたときに、体脂肪でも測ろうかと計測した用紙にでてきたのだ。

脚に関係があるのは分かる。けれども点というのは、何なのか?とにかく70年間生きてきたが初めて目にした言葉である。

「広辞苑」等の手持ちの国語辞書にはなかった。ならば、ネットで調べるしかないだろう。

脚点(脚部筋肉量点数)とは・・・

脚点(脚部筋肉量点数)とは、体重に占める脚の筋肉量の割合が理想的とされる値と比較して、今のあなたの割合がどの程度なのか点数で表示したものです。
足の筋肉量が減少すると、足もとがふらついて転倒したり、歩く速度が低下して、日常生活に支障が生じやすくなります。
本機は、体重に占める脚部筋肉量の割合によって「脚点」を表示しています。
下の表を参考にしてご自身の脚点を把握しましょう。

脚点 脚点の
判定内容
コメント
50~79点 低い 体重に対する脚部筋肉量の割合が少ないです。
日々の生活の中では転倒に気をつけ、無理のない範囲で少しずつ運動をして、筋肉量を増やしていきましょう。
80~89点 やや低い 体重に対する脚部筋肉量の割合が減少しつつあり、筋肉の低下が生じています。
がんばって運動を続けることが脚点アップにつながります。
90~150点 良い 体重に対する脚部筋肉量の割合が十分であるといえます。
脚部筋肉量は何もしなければ自然と減少するので、運動を継続することが大切です。

上は、TANITAのネット中の解説からコピー引用した。94点は「良い」の範疇に入っているようだ。ちなみに体脂肪率は17%、トレーニングの効果は出ている。ただ、内臓脂肪は「やや過剰」と出た。これを落とさないと短距離を走る体にはなるまい。

  寒すずめ今年も姿すらみせず

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頽唐

「頽唐を脱却、新生の第一歩を踏み出した父に取り・・・」 これは現在読んでいる瀬戸内晴美著『ここ過ぎて』に出てきた引用文の一部である。元の文章は、白秋の子息、北原隆太郎が書いたもので、冒頭の熟語には「たいとう」とルビがあった。

ルビがなければ、脱却から逆にたどる当て推量で流してしまっていたことだろう。「たいとう」と読みがあって、初めて辞書を調べる気になった。

『角川大字源』によれば、

頽①はげたさま②くずれる。くずれおちる③おとろえる。だめになる④おちる⑤滅びるさま
  ⑥つまずく⑦したがう⑧暴風。つむじかぜ⑨疲れるさま⑩水が流れ下る
  (訓読みは、ナイ)

唐①ほら。とりとめのないことば。大言②ひろい。おおきい③むなしい④つつみ。どて
  ⑤にわ⑥みち⑦ねなしかずら⑧うしなう⑨朝代の名
  (訓読みはカラなのだろう)

熟語「頽唐」の意義は、「くずれおちる。気力が衰える」とある。

白秋、姦通罪で逮捕されたあとの気力のなさを表した熟語だったことが分かった。このあと「城ヶ島の雨」をつくったとか?私、白秋が三人の妻を持っていたこと、姦通罪での逮捕歴があることなど初めて知った。まもなくあの世に行くというのに知らないことが多いこと。

  実り過ぎ鴉止まらぬ木守柿
 

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てんご

瀬戸内寂聴の本を読んでいる。偶々最新刊の『風景』を読んで、大変おもしろかったので、同じ趣向の『場所』を読んでいるところだ。

もともと、彼女の本は、伊藤野枝・大杉栄・管野スガなどの伝記小説以外は読んだことがなかった。彼女が『花芯』を発表、小説家として名前が売れだしたころ、私は高校生、「子宮作家」なんて呼ばれていた作家を毛嫌いしていた。

彼女の親の出している瀬戸内仏具店の前を通って、高校に通っていたから、なおさらに、意識して遠ざけていたように思う。

『風景』も『場所』も、彼女の自伝的な、私小説的な作品である。彼女が通った高等女学校と同じ敷地にあったかと思う女子師範学校に私の母は通った。母のほうが4,5歳年上ということがあってか、母は、瀬戸内の話を一言もしたことがない。太宰の話は、して、文学に興味を持つ私に小説家の危うさを語って聞かせてことはあったが。母もまた「子宮作家」を疎んじていたのであろうか。

そう、『場所』は、そんなことを思い起こしてくれる小説で、瀬戸内が僧侶になった後に、自分が生活した場所を訪ねて歩く。前半は、生まれ育ち、夫の教え子を愛してしまう土地、徳島が舞台。(後半にも、三鷹、西荻窪など私にも少しは土地勘の場所があって、興味が深い)

私と19歳の歳の差があり、それだけ、瀬戸内の記憶は私の知らない古くまで遡るが、帰郷した私の気持ちに共通するところが多い。その中の眉山。そこに、このブログの題材「てんご」を拾ってみた。

「頂上を町の人たちは、眉山の「てんご」と呼んでいた。」

私は、こういう表現を知らない。初めて知った。「あのこは、てんごばっかり言う奴やで」と言う表現は、よく知りもし、使ってもいた。「冗談やアホなことを言う」こと、それが「てんごを言う」で、他に、こんな意味があったとは?

冗談のほうは、「転合」、頂上のほうは「天こorご」 漢字表記は見当がつかない。

 無灯火の自転車速し秋の暮

歩行数  18,312  累積歩行数 793,120

  明日ブログ休みます。雨の中、紅葉を見に、陸羽東線に乗ります。

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匕箸を失う その3

やっとメモを持ち帰ったので、「匕箸を失う」が出ている部分を引用する。

[港近くに取った宿の朝の慌しい様子を描いて]

ーお早くお早くと番頭が促き立てる。風が出る!出帆する!飯が熱い!匕箸はなかなか失するのではなかったが、狼狽は察すべしで、飯は扨置き、出帆は甚もあれ、船に乗らんとして風が出ると聞くのである、-

なお、讀賣新聞連載時のタイトルは「反古裂織」明治32年9月1日から11月13日まで、49回。紅葉33歳、7月8月の旅の様子である。

ほるぷ版は、そのうちの24-30の部分を掲載している。

  長閑なりあとしばらくは薄紅葉

 

歩行数  15,028 累積歩行数 626,606

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匕箸を失う その2

3連休が終わり、やっとこの項目を終わりにすることができる。物忘れが激しいので、3連休中、この項目が中途半端なままであることを気にかけてきた。それだけのことだが、なんだか重荷が下せそうな気分である。

さっそく、紅葉の文章を引用する。と、ここまでアルバイトに出かける前に書いておいた。夜書くのは大変だからである。

ところが、物忘れも極まれり、マタ、メモを忘れてきた。どうしようもない。その壊れた頭脳の記憶で、心許無いことこの上ないが、原典について書いておこうと思う。

ほるぷの本は「佐渡まで」というタイトルがついているが、これはほるぷで勝手につけたタイトル名。元のタイトルは「煙霞療養」という。もっとも読売新聞発表時には違うタイトル、これは忘れているので、忘れなければ明日書き記しておくつもりだ。ほるぷはタイトルを変えた上に抄録している。

「煙霞療養」なら、講談社版「現代日本文学全集 第五 尾崎紅葉集」に収録されているので、3連休中になんとかなったと思うが、急いでみても、誰にもメリットはないか。

  わが身ひとつ捌ききれずに秋の風

歩行数  16,723 累積歩行数 611,578

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匕箸を失う

旅の魅力は「日常からの脱出」 佐渡への旅は重畳なす幽愁からの脱出に役立った。

それ故暫時佐渡の旅を引きずっていたいと「佐渡」の本を紐解いている。その作業の中で見つけたのが「匕箸を失う」である。

ひちょをうしなう。ひちょをしっす。「匕」は「さじ」 「箸」は「はし」 食事中に匙と箸を落とす ということ。「非常に吃驚する」意味らしい。

驚いたことに、ここまで書いて、読んでいた本より書きぬいたメモを失っている。本もアルバイト先に置いてきた。したがって、この記事、中途半端なままとなるが、明日から3連休。地元の図書館にあれば、明日にでも完成させることができるが・・・?

尾崎紅葉の文章であったかと記憶する。

  秋灯の無駄に明るき今宵かな

10月7日 歩行数  17,879 累積歩行数 545,180

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指切りげんまん

太宰の「人間失格」に「ようし、ゲンマンしよう。きっとやめる」と言って、明日から酒を飲まないと十代半ばの少女と約束する件がある。このゲンマンは、もちろん「指切りげんまん」のゲンマンで、後に「うそついたら針千本飲ます」とついてもいいだろう。

「指切り」単独でも、「げんまん」単独でも使われるが、この「げんまん」とは何か。これに少しだけ引っかかった。

辞書を調べれば「拳万」こぶしで一万回打つに由来するとある。嘘をついたら、拳で一万回殴られるのがいいか、針千本飲むのがいいか。どちらも嫌だから、堅い約束になるのだろう。

さて、この私、実生活でこのユビキリゲンマンをした記憶は、幼児期にさかのぼってみても、まったくない。約束には、似合わない「千三つ」だったわけではなく、誰かと約束をする、そんな人間関係が昔からなかった、そんな孤独な自分が蘇ってくる、そんな秋の夕暮れである。 

 指一つ絡めたくても老いの秋

歩行数 22,823 累積歩行数 210,023

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形容動詞いやちこ

久生十蘭の使う語彙は、私の数百倍はあるのではなかろうか?お蔭で「ことばが拾える」今日は「顎十郎捕物帳」の「日高川」を読んでいた。

「府中、山伏寺、覚念坊の蛇除けの加持は、たいへんにいやちこだというので・・・」、私には初見のことばだが、調べてみると、小さな国語辞書にも載っている。ポピュラーな日本語なのだろうか?

意味は、「神仏のご利益のいちじるしいようす」とある。「霊験あらたか」の「あらたか」と同じ意味らしい。語源的には「いやに近い」に近いらしい。

  なでしこは花ジャムパンはパン夏の朝

歩行数 25,617 累積歩行数 1,033,995

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