いつもちこくのおとこのこ その5

3.ポスト・モダンとは何か

 ここに詳しく踏み込むと大変なので簡単に触れる。ネットの検索窓に「ポストモダンとは」と入力して、わたしの半可通な解説を補っていただきたい。

 近代(モダン)においては、大半の人々が人類の進歩や解放を自明のこととして捉えてきていたが、そのなかで、見落としてきたこと、無視してきたことがあり、そちらに、目を向けることに価値を見出そうとするようになった。これが、ポスト・モダンである。近代が終わったという意味のポストではなく、近代主流からの逸脱した分散化が起きる状態を言っている。

 絵本界においては、ビアトリスク・ポター、ワンダ・ガアグ、ロバート・マクロフスキー以来の流れがモダンで、1970年代以降にポスト・モダンの絵本が出現する。アメリカでの旗手がモーリス・センダック、イギリスでは、アンソニー・ブラウンやジョン・バーニンガムが代表選手であろう。もちろん現在でもモダン絵本はなくなったわけではなく、今でも主流であるかも知れない。

4「.いつもちこくのおとこのこ」を読む

 ネットで検索すれば、たくさんの子どもさんの評価を知ることができるが、大方は

先生を最後にやっつけて面白かった

ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーの繰り返しが面白かった

 の2点に集中している。 もちろん、その評価にわたしも疑問をもたないし、おそらく作者も、それでいいと思うだろう。

 ところが、それだけの絵本では当然ない。次から次へと疑問がわいてくるのだ。それを整理して、ある程度「作品論」らしく、まとめていきたいのだが、今は、その自信がない。そこで、アトランダムに疑問点をピックアップして、終わりたいと思う。ポスト・モダンの絵本は、きちんとした作者の考えを提示しないで、読者に解釈を委ねることが多く、どう考えるべきだという正解を求めてはいない。この「あいまいさ」こそが、作者の表現そのものであるといえる。

①表紙の絵の選択 

 パート3の「たかしおの部」で使用した絵の転用であることは先に述べた。先生を描いた絵は8枚あるが、この絵だけが、権威の象徴でもあるステッキを持っていない。それを何故表紙に持ってきたか?大きなタイトルを入れるスペースを確保するため、つまりデザイン上の理由が一番大きいとわたしは思う。ただ、この絵ではジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーと先生の体の大きさの比が1対9、名前の長さと正確に反比例(英文ではJohn Patrick Norman McHennessyとSir 27文字対3字)しているのは単なる偶然か?イギリス人の姓名の成り立ちで、この4つの部分からなるのは、普通のことなのだろうか?

②見返しの書き文字

 作者の甥?だとかに、書いてもらったとか。汚れをそのまま使い、liesをliseと誤記しているのも愛嬌か。これはパート1の罰そのものの再現だが、わたし自身は、成功だとは思えない。「あいまいさ」の全くない剥き出しの現実が出ていて、つまらないと思う。

③標題紙の絵 前述したとおり、左方向なのが気になる。

④文章と絵

 この時期のバーニンガム作品では珍しく、絵をみないで文章だけを読んでも成立している作品だ。だといって、絵の働きが弱いということはない。文章をより判りやすくする働きをしている絵もあるが、本作品の絵の特徴は、主人公の心理を表現しているところにある。だが、それでもなお、よく理解できない「あいまいさ」が残る。

 ア.勉強しに出かける場面

   スタートとトラブル解消後の2種が3パート分6場面。それにパート4に3場面あるが、時刻と季節とジョンの心理の表現を読み取ってやろうとしたが、意味ある結論は引き出せなかった。朝日の出る前、日が大分高くなってからまでは、わかるが、あとはまた朝日か夕日かも不分明なところがあって、読みきれない。set off along the road to learnの部分は、作者の体験(10校もの転校)で、親の決めたroadを歩き続けた時代の反映だろう。夜が明けたのはサマーヒルの選択制学校に入ってからだろう。最後の絵もまだ、夜明け前である。

 イ.一見拙い線画の傑作

   <もうライオンのうそはつきません。ズボンもやぶりません>の場面の絵の雄弁さはどうだろう。ジョンのこころをこんなに的確に表現した絵のすごさ、本書中の最高傑作だと思う。あとの絵も背景なしの部分の絵がいいとわたしは思う。

 ウ.なぜいない同級生

    ジョンはなぜいつも1人なのか。先生も1人なのか。これは、逆デフォルメなのだろう。理解されない子どもたちは大勢いるし、理解しない先生たちも大勢いる。あえて、1人だけ登場させて、問題をクリアにして提出している。遅刻を叱られている時、同級生が傍にいては、子ども対先生の構造に歪みが生ずると、わたしは思う。

5.おわりに

  ジョン・バーニンガムは、絵本というメディアでできることを常に考え、誰も手がけていない分野を開拓してきたようだ。最近の作品には接することができていないので残念だが1936年生まれのベテランの意欲を凄いと思う。絵本のアイディアが生まれるとキャラクターの性格づくりに3~4ヶ月、実際の絵を描くのに3ヶ月、本のデザインに3~4ヶ月かけるそうだ。つまり、まる1年かけて1作を仕上げるのだから、絵本というメディアは、大人が読んで面白いのは当然のことなのだ。

 参考文献はサイドにアップして、ここでは省略。web siteも参照したが、アドレスのメモを怠った。googleの検索まどにJohn Burninghamを入力して引き出して欲しい。

                                      以上

 

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いつもちこくのおとこのこ その4

2.バーニンガム作品の時代区分とその特徴

上で見たようにバーニンガムには40を超える作品がある。この時代区分作成のほとんどを負った藤本朝巳著『絵本はいかに描かれるか(表現の秘密)』には1998年で60作を超えると書いてあるが、わたしが、確認できたのは40冊程度であった。その差20を調査しないでいささか乱暴すぎるが、研究の下調べ的ノートなので勘弁していただきたい。

 第1期 1963年ー1967年

  動物が主人公の普通の物語絵本ー昔話風で絵と文のありかたもオーソドックスな作品『ボルカ』『トラブロフ』『ハンバート』『ハーキン』『キャノンボールシンプ』のほかに『ABC』がある。(藤本の前掲書では動物が主人公の物語絵本4作で全てと記述しているが間違いか?) この時期の特徴は、従来の絵本という概念に素直に従っていた時期だといえる。

 第2期 1969年ー1973年

  文章の量が少なくなり絵の比重が増してきた時期。『ガンピーさんのふなあそび』『ガンピーさんのじどうしゃ』が代表作だろう。これは次期のポスト・モダンを胚胎。

 第3期 1977年ー現在

  いわゆる「ポスト・モダン」といわれる、既成の絵本概念を意識して破っていく作品を発表し続けている時期 但し、未邦訳本があるので、この時代区分ではまずいかも知れない。『なみにきをつけて、シャーリー』『ねえ、どれがいい?』『おじいちゃん』『ジュリアスはどこ?』『いつもちこくのおとこのこ』などが代表作。写真を使った絵本『くものこどもたち』なども、注目作である。

  今回のテーマ『いつもちこくのおとこのこ』は1987年 第3期ポスト・モダン絵本の代表作の一つといえよう。

                                    つづく

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いつもちこくのおとこのこ その3

 その1 その2は 絵本「いつもちこくのおとこのこ」の形体や構造を紹介した。
 文字で絵本を説明する能力不足で、理解しづらい表現になったかも知れない。
 そこで、その1 その2のまとめから始めよう。

0.その1 その2のまとめ
 絵本「いつもちこくのおとこのこ」は4つのパートから成立している。
 パート1からパート3までは、7画面の「繰り返し技法」を使っている。
 パート4は、ストーリーの完結部分で、5画面からなっているが、オープン・エンド(完全に終わっていない)である。
 以上のようにこの作品は、作者の緻密な設計のもとに成立している。
 
1.ジョン・バーニンガムの略歴
 1936年4月27日イギリス、サリーSurrey州ファーナムFarnham生まれ。
両親が教育熱心さが裏目に出たのか、10校もの転校を繰り返し、サフォークSuffolk州レイストンLeistonのサマーヒルスクールSummerhill School,ここはalternative education establishmentとあるから、必修科目のない選択
の幅のひろい学校だろうと思うが、ここに落ち着く。
 17歳のとき救急隊に属することで、兵役を意識的に回避し、その後森林や農場で働いたり、スラム清掃活動をしたり、イタリヤとかイスラエルで働いた。
 1956年ロンドンの中央工芸学校Central School of Artに入学、1959年に卒業、デザインの国家資格取得する。その後またイスラエルのアニメ映画会社で働いた。
 1960年秋、ロンドンに帰り、イラストレータとして活躍するようになる。
 ロンドン交通局などのポスターを手がけたり、クリスマスカードのデザインを手がけたり、雑誌のイラストを描いたりして、すこしずつ世に知られるようになる。
 1963年 最初の絵本『ボルカ』を出版、絵本画家としてスタートをきる。
 1964年 ヘレン・オクセンバリ(彼女も有名な絵本画家)と結婚
 以後つぎつぎと絵本を出版(現在40冊くらいか)し、世界的に有名な絵本作家となる。
                                                        つづく

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いつもちこくのおとこのこ その2

 パート3
 ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー、勉強しに急いででかける hurried off along the road to learn
 高潮がジョンをさらっていこうとする
 てすりにつかまり、水が引くまで動けない
 道を急ぐが高潮のせいで遅刻するhurried along the road to learn but he was late because of the tidal wave
 先生に遅刻と服をぬらしたわけを訊かれ起こったことを説明する
 先生はこのあたりの川には高潮はないといって、「もう高潮のうそはつきません。洋服もぬらしません」と500回書くまで部屋に閉じ込め、うそをついて遅刻を続けるならステッキでひっぱたくという
 ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー命令どおり500回書く
 パート4
 ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー、勉強しに急いででかける hurried along the road to learn
 途中なにもおこらなかったので、間に合った
 先生が大きな毛むくじゃらのゴリラに捕まって屋根にいて、助けるよう命令する
 「この辺には大きな毛むくじゃらのゴリラなんかいません」という
 ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー、勉強しにでかける set off along the road to learn
白紙
見返し 
  表見返しと同じ
裏表紙
  ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーが罰の書き取りをしている絵 見返しの文章を書いている絵と同じだが、よくみると違いがある。表表紙は高潮のパートで先生が遅刻のわけを質しているところの絵を転用しているのになぜ小さい裏表紙の絵は転用しなかったのは、計算の内か外か、どっちだろう?

 以上の構成でノンブルはふられていないが、32頁 26×25cmの大きさである。

 パート1からパート3までは「繰り返し」で画面割りもまったく同じ構造になっている。すなわち、
1.ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーがでかける場面は下部テキスト2行分を除いて全面が不透明水彩画で偶数頁
2.わに、ライオン、高潮の場面は、左右見開き全面不透明水彩 大きさは1の2倍
3.手袋を投げてわにから、木に登ってライオンから、てすりにつかまって波から逃れた場面は、奇数頁余白部分を
 残して全面を不透明水彩で、文字はなし この部分と対応する文字は右頁の上部に2行あり
4.難を逃れ道を急ぐ場面は奇数頁で、不透明水彩画を楕円形に切った絵を真ん中に張り、下3行が対応文
5.先生に遅刻と手袋紛失とずぼんを破いたわけ、服をぬらしたわけを訊かれ、それぞれ起こったことを説明する場面は背景なしで、先生とジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーと机が描かれる(サイドの表紙に同じ) 偶数頁 文字は絵の上
6.先生が、わに、ライオンがこの辺にはいないし、高潮もないといって、遅刻の理由をうそだと断定し、罰の書き取りと唱えを300回、400回、500回するように命ずる場面も背景なしで5と同じ描き方。文字の配置が絵の下部になっている。奇数頁 パート3の罰に、「うそをついて遅刻を続けるならステッキでひっぱたたく」という文章が付け加わっているところで完全な繰り返しを破っている。
7.ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーが先生の命令を実行する場面は、書き取りは上の5.や6.と同じ書き方だが、唱えの部分は下書きのような輪郭だけの線で表現されている。文字は絵の上部 奇数頁

 つまり、パート1からパート3までは7場面が繰り返し現れる構成となっていて、寸分のくるいがないといえる。

 パート4は上でみたとおり5つの場面からなっている。遅刻を誘発する邪魔が入った文字なし場面と難を逃れて道を急ぐ場面、罰を実行する場面がなくなり、最後に1場面、さらに勉強しにでかける場面が奇数頁に付け加わったと考えることもできる。
                                                     つづく

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いつもちこくのおとこのこ その1

 『いつもちこくのおとこのこージョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー』
    ジョン・バーニンガム作 谷川俊太郎訳
    あかね書房 1988(あかねせかいの本⑰)

 わたしの絵本スタディー、第4回目に選んだのが上記の本である。
 これは、
   “John Patrick Norman McHennessy-the boy who was always late”
      by John Burningham.
      London,Jonathan Cape,1987 
 の翻訳であろうが、あかね本にはJohnathan Capeとhが余計に入っている。

 なお、このスタディーのためのテキストは、あかね書房発行1988年9月30日1刷と英語版はNew York,Crown Publishers、1988発行のものを使用する。画面はデジカメで撮ってアップ可能であるが、著作権を侵犯するので、あかねの絵本を見ていただいている前提で進めたい。

 表表紙 (サイドにbk1提供の図版を出す。この著作権処理はbk1側がしているものと勝手に理解している)
  大きな文字のタイトルがある。ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシーは副書名になっているが、原書では こちらが、主書名である。大きな人物が先生、濡れたこどもがマクヘネシーである。先生の口、手の指が異常に大きい。

 見返し
  I must not tell lies[右頁lise] about crocodiles and I must not lose my gloves
  が子どもの書き文字で52行見開き一杯に書いてあるのが意味深長である。

 標題紙
  表紙の文字を少しだけ縮小した大きな文字のタイトルがあり、マクヘネシーが道を左方向に歩いている絵があるが、他の場面がすべて右方向なので、なにか意図があるのかどうか気になる。
 標題紙うら
  奥付 英語版も同じ この場合 奥付とはいわないか
 本文
  4つのパートに分かれていて、前にある3つが、幼年文学あるいは口承文芸で多用される繰り返しで、最後のパートがいわゆる「落ち」になっている。
パート1 
ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー、勉強しにてくてくでかける set off along the road to learn
 わにがあらわれ ノーマンのかばんにかみつく
 てぶくろをなげると それに食いついて鞄を離す
 道を急いだが,わにのせいで遅刻する hurried along the road to learn but the crocodile had made him late
 先生に遅刻のわけを訊かれ起こったことを説明する
 先生は、このあたりにはわには住んでおらんといって、居残りしてI must not tell lies about crocodiles and I must not lose my glovesと300回書く罰を与える
  ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー命令どおりのことをする
パート2 
ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー、勉強しに急いででかける hurried off along the road to learn
 ライオンがあらわれ ジョンのずぼんを破く
 木に登るとライオンは飽きて居なくなる
 道を急いだがライオンのせいで遅刻するhurried along the road to learn but he was late because of the lion
 先生に遅刻のわけを訊かれ起こったことを説明する
 先生はこのあたりにはライオンはおらんといって、「もうライオンのうそはつきません。ズボンもやぶりません」と400回大きな声でとなえる罰を与える
ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー命令どおりのことをする
                                                   つづく

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悲しい本

 これは絵本『悲しい本』についての雑談で、書評なんてものではありません。

 ずいぶん、そっけないタイトルだと思いました。
 文のほうを書いたマイケル・ローゼンは、けっこう有名な絵本『きょうは みんなで クマがりだ』の作者でした。
 絵を描いたクェンティン・ブレイクは、初めて知りました。日本にも相当紹介されてる人なのに知らないでいました。

 人が死んだことを悲しむ本でした。
 絵本を幼児が読むもの、読んでもらうものと決め付けるのはあきらかに間違いですが、それにしてもそっけないタイトルであることか。出版社は子どもにも大人にも、というだろうが、作者は果たして、誰に向かってかいたのだろうか?
 死を扱った絵本や童話はたくさんある。命の尊さを訴える絵本・童話も多い。そして、幼児が目にする絵本では、動物を登場人物にしているケースが多いように思う。『ぼくはねこのバーニーがだいすきだった』『わすれられないおくりもの』などが、その具体例である。人が死ぬのでも、バーニンガムの『おじいさん』のような暗示的なものが多いのではなかろうか。
 
 原題は“Sad Book” 日本人はこんな直截なタイトルをつけるだろうか。谷川俊太郎は翻訳の際迷わなかっただろうか。出版社のあかねでは、問題にならなかっただろうか。
 あの新井満訳の「千の風になって」も“Do not stand at my grave and weep”の部分をタイトルとして訳していれば、あれほどは売れなかっただろう。

 でも、マイケル・ローゼンにはこれ以外のタイトルは考えられなかった。そこを同じ詩人である谷川俊太郎も感じ取った。そう、わたしは、思った。

 1999年4月26日 ローゼンの次男エディーが18歳で髄膜炎で突然死した。前夜インフルエンザに罹ったようだったので、冗談を言いながら、夜具にくるんでやって、次の朝六時に様子を見に行ったら死んでいたとのこと。
 つまり、実際におきた自分自身の悲しい体験を絵本にしたのだ。
 何をどう悲しみ、どうしたのかが克明に描かれている。これは、最初、作品ではなかった筈だ。つまり、自分にだけに吐き出した生の気持ちだった筈だ。そのテキストに絵をコラボレイトさせて絵本化を考えたのは、やはりローゼンだろう。エディーの死から5年近くの年月が流れている。この年月の流れ、時の経過が出版を考える余裕を彼に与えたと思う。そして、それは、彼の小さい子ども(ローゼンは三回結婚し子どもも5人はもうけている)にエディ兄さんのことを尋ねられたときが、たびたびあったことが切っ掛けになっていると、わたしは想像する。

 さて、絵本化で一番の問題は、画家の選択であったろう。クェンティン・ブレイクはイギリスでは実績のある著名な絵本画家だとしても、このテーマを絵本にするとなれば過去にこのコンビで何冊も絵本を出版していなくてはなるまい。
  調べてみると You can’t catch me!1982をかわきりに8冊ほど出版していることがわかった。その8冊すべてを手にして、このコンビの仕事ぶりをつぶさに見ていけば、ローゼンがブレイクに、この絵本の絵を依頼したわけがはっきりと掴めるに違いない。
 
  さて、この絵本。理解するうえでの、(いや、理解なんかしなくていい、何かを感じれば、それでいい。そんな絵本の読み方でいいわけだが、この絵本の場合、あえて理解をしたいのだ)、問題は、ろうそくの光。訳者谷川俊太郎は「ロウソクの光は、悲しみの闇にひそむ明日へとむかう道を照らしだす」と書いている。また、それを出版社は帯のコピーに採用している。
 誕生日のバースデイ・ケーキに立てるろうそくは確かに明るいが、最終ページのひとり眺める一本のろうそくの光は明るいだろうか?さらに、裏表紙の絵はどうだろう?もう光からも目をそむけているではないか。
 ローゼンのテキストは「明るいロウソク」で終わっている。なのに画家ブレイクは一本のロウソクを寂しく眺めるローゼンを最終ページに描き、もっと暗いローゼンを裏表紙に描いた。
 もちろんローゼンは、それを許容しているのだ。いつまでたっても、悲しいものは悲しいのだ。
 それが愛するものを失うということなのだ。
 
 小川未明の『赤いろうそくと人魚』新美南吉の『あかいろうそく』のろうそくの光は、希望のある未来への光だったろうか、もう忘れてしまっていて定かではないが、少なくとも希望の光として登場してはいない。
 そもそもバースデイ・ケーキになぜろうそくを立てるのか。一吹きに消せれば願いが叶うという風習、これは、どこの風習なのか、消されるろうそくの光がなぜ明日への道を照らし出すのか?
 ロウソクをめぐって、訳者と帯をつくった出版社に異議申し立てしたいが、きょうは、これまでとしよう。
 
 

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メアリー=ルイーズ・ゲイ

 1952年6月17日生まれのカナダの絵本作家メアリー=ルイーズ・ゲイについての雑感です。
 いや、彼女の著作の一部の「ステラとサム」についての雑感です。
 そのうち『ステラもりへいく』は、まだ見ていません。
 
『うみべのステラ』江國香織訳 光村教育図書 2004
  『ゆきのひのステラ』江國香織訳 光村教育図書 2003
  『おやすみサム』江國香織訳 光村教育図書 2004
  『おはようサム』江國香織訳 光村教育図書 2004

 この4冊だけを見た雑感です。

 ステラ姉 サム弟 フレッド飼い犬 二人と一匹のお話です。

 ステラは弟の面倒がみられる位の年頃、小学ニ、三年生くらいかな?
 サムは4,5歳くらいかな?
 フレッドはちゃいろで鼻だけ黒い、種類?わたしには、わかりません。

 両親をはじめ、大人は登場しません。
 
 何でも質問するとしごろのサムが「どうして?」を連発、ステラがうまく応える。これが『○○○のステラ』
 『おはよう・・・』『おやすみ・・・』は、よくある日常
  ふたりの「かけあい」が絶妙なので、大人も楽しめます。

 ゲイは、cartoonの仕事をしていたとネット情報にあります。cartoonって、日本のアニメでしょうか?よくわかりませんが、ステラもサムも魅力的なキャラクターになっています。
 場面に動きと空気の流れがあります。
 明るい水彩を使って、軽いタッチで描かれています。
 文章と絵、どちらかが欠けたら、この作品は成立しないでしょう。優れた絵本の特徴です。

 大人が、この作品を味わうとしたら、まず、誰かに読んでもらいましょう。表紙の絵は最初に見せてもらいますが、絵は見ないで、ことばを聴き、ページを繰るタイミングを見ます。そして、どういう絵が描かれているか想像します。
 そうして、二度目、一度目で、自分なりの絵が描けなかったら、三度目に絵を見せてもらいながら読んでもらいます。そうすれば、この作者のゲイさんが、どんなに優れた腕の持ち主かがわかるでしょう。

 コラージュっていうんでしょうか?貼り絵が使われているところがあります。その中に、日本の古文書が使われています。帽子や凧などに。親日家なのでしょうか?

  青黄粉まぶした餅や童画集

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ジゼル・ポター論 その3

P2070010P2070009 経歴を知るのに有効だった6『私が学校に行かなかったあの年』と同じく、彼女が家族とヨーロッパへ人形劇団の巡業に行ったときの絵日記からつくった絵本がある。“Chloe’s birthday...and me”で2004年出版であるが、未邦訳。これを入手すれば、もっと詳しく、ジゼルのことが判りそうである。6『私が学校に行かなかったあの年』に7歳のときの家族写真が掲載されているが、そんな写真もインターネット情報によれば、見ることができそうだ。つまり、妹クロエを描く、この本は必見資料ということができる。
3.絵の特徴
 絵本論は、作品論を先行させ、すべての作品を論じた後に、作家論を書く。これが、たぶんルールというものだろう。絵本は、一冊まるごとが、絵本、つまり、作品である。表表紙から、見返し、表題紙、奥付、裏見返し、そして裏表紙まですべてが一つの作品なので、この流れの中でしか、絵本の絵は存在しない。したがって、これから、わたしがやろうとしていることは、こっけいな遊びのひとつにすぎない。
3.1 仮面のような顔 あるいはモジリアニ風の顔
 ジゼルの絵の一番の特徴は登場人物の顔である。おおむねのっぺりとした仮面のような印象を与える。これが彼女の際立った個性だが、登場人物同士は、それほど、個性をもった人物として描き分けられてはいない。
 時として、モジリアニの描く顔を彷彿させる。上の写真を見ていただきたい。左がモジリアニ、右がジゼル。どこかしら似かよっているところがある。ローマで絵の勉強中にモジリアニの影響を受けたのではないだろうか。こういう仮説をたてて、ジゼル研究を深めることは可能だろう。
3.2 細長い手足
  肥満体の中年を描いても脚は細い。なぜか、気になる特徴である。
3.3 部屋と床
  部屋を描くとき、ふつうの画家は壁は一面か二面の構成にする。ジゼルももちろんそう表現するときもあるが、3面まで描く場面が、ほかの画家より多い気がする。それから、床や道路面にも神経が配られている。その割合が、他の画家よりは多いのではないか。これも研究材料になるのではないだろうか。
3.4 ジェンダー問題と人種差別問題
  この重要な問題に、おそらく、彼女は、しっかりとした意見を持っているはずだ。絵の表現でそう感じた。
3.5 画材はほとんど不透明水彩
  ガッシュというんですか、(出版物はすべてが、写真版から印刷されるのでしょうけれど)原画を見せられても、画材まで、見分ける能力はないわたしですが、たぶんガッシュでしょう。
                                                         おわり

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ジゼル・ポター論 その2

2. ジゼル・ポターの経歴
 彼女の経歴をきちんとまとめて発表している記事はみつからない。したがって、各種の情報を収集・編集するほかない。そこで「その1」でリストアップした翻訳書6点のブックジャケットに出版社が添付した作者の紹介記事、おなじく「その1」の6の冒頭にあるジゼル・ポター自身による「著者ノート」、そしてインターネット上の情報4点をジセルを知るための情報源とすることにした。
2.1 生まれたのはいつか
  『子どもたちに自由を!』のジャケットに「この本を書いたときポターは29歳」とある。この本、つまり原書の出版年は1999年だから、1970年か1971年の生まれ。月日は明らかではない。
2.2 どこで生まれたか
  不明である。3歳のとき両親がコネチカット州のミスティックという町で人形劇団を始めているという事実(その1. 6「著者ノート」)が、いまのところ遡りうるジゼルの一番若い時である。
2.3 家族構成はどうなっているか
  これも一番詳しい「著者ノート」によると、両親と妹のクロエと四人。祖父はフラー、祖母はアリス。18歳のとき、両親が離婚。ジゼルにはカイアという夫がいて、小さな木彫りの人形をつくっている。ジゼルは彼の公演の手伝いをするとあるから、カイアもまた、人形劇団関係者なのだろう。
 父のダニエルはマーヤと再婚し、人形劇団をつづけている。Mystic Paper Beasts Theatreでインターネット検索にかければ、そのホームページに入れる。ジゼルの名前も出てくる。関連資料として有効である。
2.4 現在どこに住んでいるか
 ニューヨーク在住とある。インターネット上にはニューヨークのハドソンバレーとかハイフォールスとかローゼンデイルとかもう少し細かい地名がでてくるがメールのアドレスとはなりえない。e-mailも不明である。
2.5出身学校は?
  最終学歴のロードアイランドデザイン学校しかわからない。この学校はきわめて著名な学校のようである。ホームページで確認できる。日本の私立の美術大学レベルかと思う。
2.6 どこで絵を学んだか
  こどものときから、絵を書くのが好きで、絵日記をつけていたようである。
  父方母方両方の祖父が画家であり、その影響を受けている。
  インドネシアでバリ細密画の勉強をしてる。
  ローマとパリで絵の勉強をしている。
  もちろんロードアイランドデザイン学校で学んでいる。
 以上。そして、肝心なのは、彼女の絵に、おおきな影響を与えたのは、どこの、どんな学習であったかが、もし、彼女が偉大な作家になったときには、研究されていくに違いないテーマのひとつになるだろう。次回はその真似事をしてみようと思う。
                                                  つづく
   

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ジゼル・ポター論 その1

0.はじめに
 研究論文となれば、学問上のルールなり、定式を踏まえていなくてはならない。絵本学会というものがあり、そこが中心となって、そのルールなり定式を決めていくだろうが、現在は、まだまだのようである。したがって、これは、偽・論文である。今までの絵本研究書の大半は、絵本をめぐる雑感が書かれているだけ、あるいは、外国文献の翻訳が中心の紹介記事が研究書の仮面をかぶっているだけのものだったりする。わたしのも、その例に漏れない。
 研究論文となれば、まだ、テキストが決定できない現代作家をとりあげること自体に問題があろう。それも、作品論でなく、作家論となれば、ますます、問題である。さらに、ジゼル・ポターはアメリカで出版している。つまり、オリジナル版を対象にするのが、ルールというものであろうが、翻訳書でおこなうという、それだけでも、研究と呼ぶに値しないものである。
1.ジゼル・ポター (Giselle Potter)の作品
 作家論を書くとすれば、まず、その作家の全作品を読むのがルールであろうし、年譜を作成しながら、成長過程をたどり、影響を受けた人や作品にも、眼を通すべきであろう。そして、先行研究論文を調査し、少なくとも、その主なものは読むのがルールというものである。そして、その誰もが言及してない新しい知見を発表するのが研究なのである。
 で、そんな面倒なことは、いっさい省いて、まず、ジゼルの作品、この場合、絵本作家としてのジゼルが対象なのでタブローがあったとしても、それには、かかわりを持たない。出版物だけを対象作品とする。
 現在、アメリカ議会図書館のカタログをインターネットで検索するとジゼルの作品は17点出版されていることがわかる。そのリストをまず記載するのが、ここでも、当然の常識だが、面倒なので、省略。
 一番古いのが
 Lucy’s eyes and Margaret’s dragon:the lives of the virgin saints.で1997年出版
   但し、これは絵本なのか画集なのか、要調査
 一番新しいのが
 Sleeping Bob.[written by]Mary Pope Osborne and Will Osborne;illustrated by Giselle Potter.
で、2005年の出版
 デビューして10年にもならない作家だ。うち、6点が日本語訳されている。そのリストは出版年順に以下のとおり。
1うるわしのセモリナ・セモリナスー小麦粉うまれの王子さま
    再話/アンソニー・L・マンナ&クリストドウラ・ミタキドウ 絵/ジゼル・ポター 訳/きむらゆりこ
    BL出版 2000.11
2子どもたちに自由を! トニ・モリソン+スレイド・モリソン 絵 ジゼル・ポター
    長田弘 訳
    みすず書房 2002.1  (詩人が贈る絵本)
3ほんとうのことを いってもいいの? パトリシア・C・マキサック 文 ジゼル・ポター 絵
    ふくもと ゆきこ 訳
    BL出版 2002.4
4ケイトと豆のつる メアリー・ポープ・オズボーン文 ジゼル・ポター絵 おがわえつこ訳
    セーラー出版 2002.11
5クェンティン・ハーター三世 エイミー・マクドナルド文 ジゼル・ポター絵 ふくもとゆきこ訳
    BL出版 2003.6
6私が学校に行かなかったあの年 ジゼル・ポター絵と文 おがわえつこ訳
    セーラー出版 2004.9
                                                           つづく

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ジゼル ポター論 準備の巻

 かつて絵本の論評は、ストリー評に終始していた。
 絵本の文章だけを対象にしがちで、画家が取り上げられるのはめったになかった。

 それが、絵本作家という人、絵も文章もともに手がける人が現れ、絵にも注目が集まるようになった。
 が、それでも、絵についての批評がなされることは少なかった。
 絵について造詣が深い批評家が、いなかったのが、大きな理由なのだろう。

 図書館でも、受け手の子どもたちの反応を主に、絵本評をするが、絵を論評することは少ない。

 これに対して、中川素子さんや、武蔵野美術大学の先生たちが、異を唱え、絵本を視覚表現のひとつとして捉え、 論ずることで、やっと、画家が評価されるようになってきた。

 また、文・絵・装訂を総合した、総合表現としての絵本を論じようとする人が出現するようになってきた。

 わたし、自分の蔵書の整理を始めているが、絵本についての蔵書は、処分できないでいる。できれば、絵本を論じ たいと思っているからだ。
 が、しかし、致命的なことに、自分には絵を評する力がまったくない。

 だから、と、しばらく、絵をみる力をつける努力をしてみた。が、これは、才能の問題で、自分はダメだった。
 祖父も、父も、田舎絵師だったのに、その遺伝子はわたしには伝わっていない。

 それでも、絵本論の真似事をする。つまり、最初から「素人の論にもならない雑文」を書くのが目的、暇つぶしの遊 びである。かくして、このブログに週一ペースで「疑・欺・偽 絵本論」が登場することになるだろう。

  
    冬の果て 老爺の膝の ぐりとぐら

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